699-39小さな本


シュティフターの「水晶」のようなとても小さな本が、一生私に影響を与えている。それは、抑制が効いた古典的な本である。その本は、キルケゴールのキリスト教講話集と同じである。彼がその中で講話していることは、野に咲く小さな花のように、人知れぬところに咲いた一輪の名もない小さな花のように、「私が私の読者と呼ぶ小鳥が、突然その小さな花を見つけ、翼に乗って舞い上がり、摘み取り、運び去っていくのを見た。そして、それを見てしまった後は、私にはもう何も見えなかった。」これが本当の、野のユリ、空の鳥、に命を感じる者の,信仰の原点であるだろう。このような信仰の原点は、既成の宗教制度とは、何の関係もないのである。それゆえ、野のユリ、空の鳥は、私にとって、優れた講話なのである。

699-38アプチロンの赤い花


今の季節、5月12日(金)は、アプチロンの赤い花が咲いている。今は曇っているが、晴れていれば、赤い花は、とても印象的である。赤い花は、昆虫がそこに集まるように、誘っているようだ。前回のような経済に埋没している人間をあざ笑っているようだ。

699-37松本さん、名士になりたかったことが目的の


友人のkさんより、先日、以前にスポット経営指導に出かけたことがある、静岡、焼津の雑貨店酢やマルヨシのYさんが、倒産したしたことの連絡を受けた。そのことよりも、その当時そこの社員だった松本さんが、焼津より、私の自宅に相談に来られたことを思い出した。

要するに、Yさんは、商品、陳列、POP,づくり、などは、自分で何もしないタイプの二世経営者で、すべて、社員だった松本さんに、説明型のPOPづくりなど、すべて任せていた。しかし、薬が儲かるとの思い込みから、調剤薬局を別の場所に出店した。その当時社員が店舗づくりについて、悩んでいた、むしろ彼は、経営者について悩んでいたことである。実務は、店舗経営は、松本さんがすべて担当していた。しかしそのような番頭さんタイプの人を、Yさんは辞めさせた。近江商人の家訓のように、三方よし、の経営でなく、薬が儲かるとの魂胆で薬を扱い、しかし自分でそれをするのでないから、番頭さんタイプの社員がいなくなると、二世経営者で、誰も相談する人がいないで、この連休に店を閉じた。

699-36藤の花


今の季節に希望ヶ丘公園を奥のほうに歩いていけば、そこには藤の花が咲いている。その藤の花が咲いているあたりで、昼の弁当を食べれば最高である。4月末から5月初めにかけて、その白い花が、一面に咲いている。この季節は、藤の花が咲くあたりで昼食を食べれば、これほどの景色はないだろう。以前高島のプラタナスの木の景観は、滋賀県内の景観良い場所であるが、この希望ヶ丘公園の藤の花は、春の食事をする場所としては、よき場所であるだろう。

699-36知的生活


私が膳所高校に入学した時、もう女性の担任の先生の名前を忘れたが、今も覚えているのは、その女性の先生の言葉である。内容はその先の大学の準備のことだった。大学を目指さない人でも、もちろん生きていけるが、何かが、そのような人にはないことである。それは、知的な生活が領域がないこと、すなわち、知的好奇心がないことである。
私は、あるタクシー運転手に出会ってそれが、改めて理解できた。彼らは、週刊誌的な雑学は知っている。無いのは、知的好奇心なのである。
知的好奇心がなくても、人は生きていける。しかし彼らは、学ぼうとする意欲がないのである。
私がその高校に入学してほっとしたことは、その運転手のような人が、高校にいなかったことである。彼らとは、知的会話ができないと言うことである。知的会話ができない人と、一緒にいても楽しくない。彼らには、知的会話や音楽の話もできないのである。人はお金だけではない。知的好奇心がない人や、または学ぼうとしない人とは、会話ができない、その出発は高校時代からだろう。人は高校時代から、世界が違ってくる。
先日膳所高校の同窓会報が送られてきた。人は何歳になっても、学ぶことである。それを高校の時の先生は、教えてくれたことが、いま改めて理解できる。学ぶことや、知的生活を、高校時代に学んだ。改めて膳所高校同窓会報が、毎年送られてくることに感謝しています。そして大学合格者は、50年経過しても変わらない。人も学校も、レガシーによって影響を与え続けていく。

699-34桜が満開


家の近くの桜が満開で今日4月7日(金)咲いている。藤原定家の「梅の花こずえをなべて吹く空さへ匂ふ春のあけぼの」と「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとやまの秋の夕暮れ」わたしは、この2つの歌が表現するような絵画的な写真を撮りたいのである。どちらも絵画的な、そして審美的な写真を。あらかじめこのような心象イメージがなければ、いくらカメラのシャッターを押しても、美しい写真は写せない。

空さへ匂ふ、この言葉を使えるかどうか、ある。この言葉を、使えるか、どうかである。

699-33高校生の時のほっとした気分


もう膳所高校に通学は、自転車でしていた。それは、50年以上前のことである。私が学んだ時は、多分新しい今の校舎ができたのが、その数年前だった。一番のその時の記憶は、中学のクラスと違い、クラスに喧しく騒ぎ立てる人がいないことで、ほっとしたことだった。今もその校舎の近くを車で通るとき、意識はその時代にタイムスリップしていく。そう、ほっとした気分と、休みの時は、友人の松下君の家に行き、彼が株式の日足をつけていて、そのチャートを見て彼とその企業の話しを曜日に毎日していた。50年は、夢幻である。

699-33走れリヤン


東日本大震災で長男の拓馬(岡田将生)を失った家族に残されたのは、震災の日に生まれた子馬のリヤンだった。父・雅之(役所広司)は長女・将子(新垣結衣)とともに亡き兄が夢見た競走馬にリヤンを育てあげようとする、3月23日、24日に放送されたNHKのテレビドラマである。困難な時期に子馬を育て上げようとするドラマであった。何故か、印象に残ったのは、困難な時期にこそ育てあげるというテーマであった。
このテーマは、ソフォクレスのギリシア悲劇ののように私に印象を与えた。
改めて繰り返す、人間は、困難な時期にこそ、自分にとってのリヤンのようなものを育てることである。自分にとってリアンは、何なのか?である。

699-31暫くすると彼岸


後暫くするとお彼岸である。大気は冬から春に変わろうとしている。野鳥の囀る声が聞こえる。お彼岸の頃は、死んで彼岸に行ってしまった人達を思い出す。その人たちの笑顔を思い出す。思い出すのは、彼らの笑顔である。彼らの笑顔は、消えない。その人達は、思い出してあげることによって、いつまでも自分の中に生きる。私は自力主義だが、死者たちは、思い出してあげることによって、自分の中に生きる。

自分の中に生きるだけでなくその人たちは、思いがけないエネルギーを、この世に放射することもある。特に笑いのエネルギーが彼らの写真を見る時、そのような写真を見ると、エネルギーを、放つことがあるから、笑っている彼らの写真があれば、お彼岸の時に、そのような写真を見て、思い出してあげよう。そして死者たちとも、波長を合わせて、彼らが何を言いたいのかに、高性能の受信機のように、波長を合わせて、かすかな声を聞いてみよう。

699-30春と露出


春は太陽の光が強くなる。だから、写真を撮るときの、露出とシャッタースピードは、春になると変わる。そのためには、マニュアルカメラを使うことだ。昔リコーの二眼レフのカメラを使っていた。このフィルムは6センチ×6センチのブローニーサイズなので、35ミリサイズのフィルムとは、情感や人間の表情に違いが出る。35ミリでしか写真を撮ったことのない人には、その違いが判らない。

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