699-33走れリヤン


東日本大震災で長男の拓馬(岡田将生)を失った家族に残されたのは、震災の日に生まれた子馬のリヤンだった。父・雅之(役所広司)は長女・将子(新垣結衣)とともに亡き兄が夢見た競走馬にリヤンを育てあげようとする、3月23日、24日に放送されたNHKのテレビドラマである。困難な時期に子馬を育て上げようとするドラマであった。何故か、印象に残ったのは、困難な時期にこそ育てあげるというテーマであった。
このテーマは、ソフォクレスのギリシア悲劇ののように私に印象を与えた。
改めて繰り返す、人間は、困難な時期にこそ、自分にとってのリヤンのようなものを育てることである。自分にとってリアンは、何なのか?である。

699-31暫くすると彼岸


後暫くするとお彼岸である。大気は冬から春に変わろうとしている。野鳥の囀る声が聞こえる。お彼岸の頃は、死んで彼岸に行ってしまった人達を思い出す。その人たちの笑顔を思い出す。思い出すのは、彼らの笑顔である。彼らの笑顔は、消えない。その人達は、思い出してあげることによって、いつまでも自分の中に生きる。私は自力主義だが、死者たちは、思い出してあげることによって、自分の中に生きる。

自分の中に生きるだけでなくその人たちは、思いがけないエネルギーを、この世に放射することもある。特に笑いのエネルギーが彼らの写真を見る時、そのような写真を見ると、エネルギーを、放つことがあるから、笑っている彼らの写真があれば、お彼岸の時に、そのような写真を見て、思い出してあげよう。そして死者たちとも、波長を合わせて、彼らが何を言いたいのかに、高性能の受信機のように、波長を合わせて、かすかな声を聞いてみよう。

699-30春と露出


春は太陽の光が強くなる。だから、写真を撮るときの、露出とシャッタースピードは、春になると変わる。そのためには、マニュアルカメラを使うことだ。昔リコーの二眼レフのカメラを使っていた。このフィルムは6センチ×6センチのブローニーサイズなので、35ミリサイズのフィルムとは、情感や人間の表情に違いが出る。35ミリでしか写真を撮ったことのない人には、その違いが判らない。

699-29春


春と冬の違いは、太陽の光の量である。それを感じるのは、今日2月24日で、まだ暦では2月であるが、すでに太陽の光は、春の光である。マニュアルのカメラを使い、自分で絞りとシャッタースピードを自分で決めている人には、光の強さを感じるはずの2月24日金曜日である。

暦ではまだ2月であるが、太陽の光はすでに春である。文章を書いている人でも和歌では季語は不可欠であるが、散文を書いている人では、この季節感を感じないかもしれない。一方マニュアルのカメラを使っている人は、シャッタースピードを一段早くしなければならないこの頃である。

しかし露出とシャッタースピードを自分で決めていない人では、この早春の季節感を切り取ることができない。もう今は手元にないが、リコーフレックスという二眼レフカメラを以前使っていた。フィルムの大きさ、何故ならこのフィルムは6センチ×6センチだったので、その画質は、35ミリの画質のフィルムでは描けない。

人肌の情感も、35ミリフィルムでは、描きにくい。画家のように描くには、やはり6センチ×6センチのフィルムである。35ミリフィルムでは、画家のようにその情感や空気感を描けない。光の量を感じるためにも、大きなフィルムが必要だ。

その違いは、ラジカセで音楽をきくことと、本格的なスピーカーで聞くことの違いと同じである。6センチ×6センチのフィルムを使うことは、今では贅沢である。でも懐かしいそのあっとう

699-28製造業


製造業は、目的、商品、戦略、戦術、技術を明確にできる。大学の経営学よりも、それらを明確にできる。経営コンサルティング企業の多くは、人の問題に終始している。だから経営の問題に踏み込むより、財務や人間の問題に踏み込む。昔、車さんは、これらに踏み込まないために、マーケットサイズ表に取り組んだ。このことが理解できない人間は、人間関係を経営の問題とした。いつの時代も、マーケットサイズの問題より人間の問題に経営は踏み込んではいけないのである。

699-27忘れえぬ女性


何故か思い出す不思議な女性は、前回の30年前のエミリーというクラスネームで京都YMCAの英会話スクールにいた。彼女は京都府立医大の看護婦だったかもしれない。名前も覚えていないが、ベレー帽をかぶっていた容姿は、鮮明に覚えている。
もう一人の女性は、南敦子さんで、大阪の北浜近くのギャラリーでインテリアの個展をしていた。何故か彼女のインテリアは、興味をひかれた。
どちらの人も、その色彩感覚とデザインとして、今も印象に残っている。色彩感覚とデザインに昇華した二人の面影は、時間の経過が色あせるようにはしない。

699-26エミリー


突然、私が30歳の頃、京都YMCAの英会話スクールに通っていた頃、同じ教室にいたクラスのネームがエミリーという名前を使っていたある女性を思い出した。時間が経過してもその姿を鮮明に覚えている。彼女は、ベレー帽をかぶり、ボーイッシュな多分京都府立医大の看護婦だった。今はどうしているのだろうか?何故か鮮明に彼女の姿を覚えている。

いつもクラスの最前列に座っていた。私は、その時は、仕事を午後5時に終わり、大阪から京都YMCAにすぐに駆けつけていた。その時の教師は、ミスボーディという名前の太ったアメリカ人女性であった。

その女性の名前も知らない、エミリーという名前のみである。福永武彦、「愛することは危険な賭けであり、僕は生きていくために他者を求めていくその魂の願いのようなものが、生きるための人間の希望の一つであると考える。僕が愛という場合に、それは常に孤独と相対的なもの、人間の根源的なものである。エミリーを思い出すとき、私の根源的なものを思い出したのだろう。

699-26,2017年新年あけましておめでとうございます。


前回アイリッシュの祈りについて書きましたが、それは人は、何を残し、引き継いでいくか、のアイルランド人の歌です。何を残し、何を引き継いでいくか、を思い、小さな行動をすることである。
人はそれをしなければ、昔の東映のやくざ映画の主人公のように、仁義を果たすことができない。しかし、この新年の祈りを、しない人は、何も未来に残すものがない。
経済的な繁栄も生まれない。新年は祖先を敬う祭事である。そして、新年にそのような祖先を敬うことをは、神社に行くよりも大切なのだ。このようなこと、新年の祈りをしない人には、経済的な繁栄も生まれない。新年は、両親を敬い、祖先に思いを巡るときなのである。

699-26新年2017野口雨情


あけましておめでとうございます。2017年新春

昨日まで野口雨情について、その言葉が一番日本的であることを、英語で書いていた。その情感が、同時に海外にも通用することに、思いついた。日本の歌や詩は、野口雨情から始まる。その情感が外国にも通じるし、何も京都が日本の観光の中心でなく、この情感こそが、日本的なのである。

699-15お盆の頃


最近購入した株、メガチップスについても、それは、自分で思いつき、自分で意思決定したのであるが、見えない力が、左右しているのかもしれない。お盆の今、思い出すのが、すでに亡くなった人達である。
その中で、愛する人は、心の中でいつも現在進行形として、生きてきている。そのことを気付かせてくれるのが、お盆の現在である。

そのような人達が、今も生きているように思い出されるのが、現在のお盆の頃である。以前に出版した本、「見えない世界とのコンタクト」のように、見えない力が、左右していることは、感じざるを得ない。それを感じるのは、何か株式相場のようなことをしていると、改めてその見えない力を感じるのが、このお盆の頃である。既に亡くなっている人達に、その冥福を祈るのが、お盆の頃である。

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