699-43正体が現れる


偶然、元船井総研にいたある人の正体が現れた画面を偶然見つけた。そこには、以前手足のように使っていたKさんや亡き門田さんのことは、何も書かれていない。経営のことも、なんも関心がないのだろう。リンクが張られているのは、女性の紹介のみの画面である。女性と経営は、何も関係がない。もともと経営の知識など、何も書かれていない。しかし、彼の正体が返って、よくわかる。そして、頭が賢いとも思えない人を、社長にした意図も、余計によくわかる。そこには、得か損の計算ばかりで、男の仲間など、何も出てこない。おそらく、その人には、男の仲間や友人など、いないのだろう。時の経過は、人の正体を現してくれる。時の経過は、人の正体を現してくれる。一生を得か損かで、生きる人間に出会ったとは、大学の同好会にいたある人を思い出す。
私は、生涯で二回、そのような、得か損かで生きる人に出会った。滑稽である、その画面は、女性のことばかりであることが。経営のことも、アートのこともなく、女性ばかりであることが。いつかは、必ず、人は、その人間の本性が現れるのである。このような人に、人は生涯で、一度か二度出会うかもしれない。

699-42美しの森


それは、美しの森は、どこに、あるのだろうか?子供の頃の記憶に戻ればよい。それは、高島市のメタセコイヤの木の森かもしれない。それは、湧水がある山道かも、知れない。それは、余呉湖の小さな道かもしれない。そこは、まだ雪が残っている。小さな花が咲いている。美しの森があることすら、あまり街に住んでいると、見えなくなる。少なくとも車が走らない静かな場所である。美しの森は、町に住んでいると、見えない。今も残る残雪がある小道には、もう野の花が咲いている。
残雪がある小道ほど、美しい、でも、誰も気が付かない。美しの森があることを、街に住んでいる人は、その桃源郷があることが、見えない。都会に住んでいては、美しの森の存在が、見えない。

699-41株式投資


株式投資は、高校生の頃、友人が株式チャートと書いて、信用取引をしていたのを見て、私も、社会人になってすぐ始めた。
やはり、ほかの人が気が付かないときに、安値で買うことである。私は、電気のグループのある企業を昨年買った。証券会社の担当の意見は聞くが、株の選択は自分で行う。私の場合、船井総研の株より、パフォーマンスが良い企業を選ぶことを基準にしている。
みんな自分でその基準を作ればよい。なぜなら、その企業は、頭の悪い、扱いやすい人を、社長に選んだ。反対に、やはり経営者の言葉は、大切である。そして上場した時が高値でなく、今が高値を抜く会社であることが大切である。そして頭の悪い、扱いやすい人を社長にしてはいけない。

699-40英語と友人


外国人と友人になるには、通常英語を通じてコミュニケーションする。このような機会は誰にでもあるから、その機会を利用するか、どうかである。あとは、お互いにその機会を利用するか、だけである。たとえ住む場所は、離れていても、メールさえあれば、どこでもコミュニケートできる。いくら英語の授業を増やしても、誰かと英語を通じて会話することが大切で、英語の学習塾などを増やすことでは、ない。今でも何十年も前に京都YMCAのクラスの先生だったミスボーディ先生を、覚えている。
反対に大勢の生徒がいるクラスでは、何年英語を学んでも、使えるようにならない。だから、英語の子供のクラスなど、あまり役に立たない。

699-39小さな本


シュティフターの「水晶」のようなとても小さな本が、一生私に影響を与えている。それは、抑制が効いた古典的な本である。その本は、キルケゴールのキリスト教講話集と同じである。彼がその中で講話していることは、野に咲く小さな花のように、人知れぬところに咲いた一輪の名もない小さな花のように、「私が私の読者と呼ぶ小鳥が、突然その小さな花を見つけ、翼に乗って舞い上がり、摘み取り、運び去っていくのを見た。そして、それを見てしまった後は、私にはもう何も見えなかった。」これが本当の、野のユリ、空の鳥、に命を感じる者の,信仰の原点であるだろう。このような信仰の原点は、既成の宗教制度とは、何の関係もないのである。それゆえ、野のユリ、空の鳥は、私にとって、優れた講話なのである。

699-38アプチロンの赤い花


今の季節、5月12日(金)は、アプチロンの赤い花が咲いている。今は曇っているが、晴れていれば、赤い花は、とても印象的である。赤い花は、昆虫がそこに集まるように、誘っているようだ。前回のような経済に埋没している人間をあざ笑っているようだ。

699-37松本さん、名士になりたかったことが目的の


友人のkさんより、先日、以前にスポット経営指導に出かけたことがある、静岡、焼津の雑貨店酢やマルヨシのYさんが、倒産したしたことの連絡を受けた。そのことよりも、その当時そこの社員だった松本さんが、焼津より、私の自宅に相談に来られたことを思い出した。

要するに、Yさんは、商品、陳列、POP,づくり、などは、自分で何もしないタイプの二世経営者で、すべて、社員だった松本さんに、説明型のPOPづくりなど、すべて任せていた。しかし、薬が儲かるとの思い込みから、調剤薬局を別の場所に出店した。その当時社員が店舗づくりについて、悩んでいた、むしろ彼は、経営者について悩んでいたことである。実務は、店舗経営は、松本さんがすべて担当していた。しかしそのような番頭さんタイプの人を、Yさんは辞めさせた。近江商人の家訓のように、三方よし、の経営でなく、薬が儲かるとの魂胆で薬を扱い、しかし自分でそれをするのでないから、番頭さんタイプの社員がいなくなると、二世経営者で、誰も相談する人がいないで、この連休に店を閉じた。

699-36藤の花


今の季節に希望ヶ丘公園を奥のほうに歩いていけば、そこには藤の花が咲いている。その藤の花が咲いているあたりで、昼の弁当を食べれば最高である。4月末から5月初めにかけて、その白い花が、一面に咲いている。この季節は、藤の花が咲くあたりで昼食を食べれば、これほどの景色はないだろう。以前高島のプラタナスの木の景観は、滋賀県内の景観良い場所であるが、この希望ヶ丘公園の藤の花は、春の食事をする場所としては、よき場所であるだろう。

699-36知的生活


私が膳所高校に入学した時、もう女性の担任の先生の名前を忘れたが、今も覚えているのは、その女性の先生の言葉である。内容はその先の大学の準備のことだった。大学を目指さない人でも、もちろん生きていけるが、何かが、そのような人にはないことである。それは、知的な生活が領域がないこと、すなわち、知的好奇心がないことである。
私は、あるタクシー運転手に出会ってそれが、改めて理解できた。彼らは、週刊誌的な雑学は知っている。無いのは、知的好奇心なのである。
知的好奇心がなくても、人は生きていける。しかし彼らは、学ぼうとする意欲がないのである。
私がその高校に入学してほっとしたことは、その運転手のような人が、高校にいなかったことである。彼らとは、知的会話ができないと言うことである。知的会話ができない人と、一緒にいても楽しくない。彼らには、知的会話や音楽の話もできないのである。人はお金だけではない。知的好奇心がない人や、または学ぼうとしない人とは、会話ができない、その出発は高校時代からだろう。人は高校時代から、世界が違ってくる。
先日膳所高校の同窓会報が送られてきた。人は何歳になっても、学ぶことである。それを高校の時の先生は、教えてくれたことが、いま改めて理解できる。学ぶことや、知的生活を、高校時代に学んだ。改めて膳所高校同窓会報が、毎年送られてくることに感謝しています。そして大学合格者は、50年経過しても変わらない。人も学校も、レガシーによって影響を与え続けていく。

699-34桜が満開


家の近くの桜が満開で今日4月7日(金)咲いている。藤原定家の「梅の花こずえをなべて吹く空さへ匂ふ春のあけぼの」と「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとやまの秋の夕暮れ」わたしは、この2つの歌が表現するような絵画的な写真を撮りたいのである。どちらも絵画的な、そして審美的な写真を。あらかじめこのような心象イメージがなければ、いくらカメラのシャッターを押しても、美しい写真は写せない。

空さへ匂ふ、この言葉を使えるかどうか、ある。この言葉を、使えるか、どうかである。

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