Archive for 1月, 2010

「文化と経営」に変更について3つの出会い


今まで長年ホームデコ本部というタイトルのもとで、長年にわたり文章を書いてきたが、今回より文化と経営のタイトルに変える。長年コンサルティングをする中で、二世経営者では事業もビジネスアイデアも作りあげることが出来ないことがわかっていた。二世としてでは、ビジネスを確立できない人間を多く見てきた。彼らを見てきて、私は自分でビジネスを始めるようにした。だからコンサルティングは結局、自分でビジネスを始めるための序章でもあった。

病院から退院して数ヵ月後,私の一番の不安は頭をやられていないかどうか、ということであった。その不安を振り払うために、頭が正常であることを検証するために、あえて昨年は投資に相当集中した。相当の成果もあげた。そこでわかったことは、日ごろ自分に言い聞かせていた言葉、それらの言葉の多くは日めくり「楽しみながら」に採用した言葉であるが、危機は成功の紙一重であるということである。

1、タイトルを変えた3つの理由

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今回より文化と経営というタイトルに変えた理由は、3つの出会いがあったからだ。

タイトルを変えた理由の一つは、昨年突然病気で突然倒れるまで毎日のごとく一緒に散歩をしていて田村呉服店の経営者の田村社長と一年間にわたり毎日よく話をした。そのとき何時も二人で、日本文化と経営について話をしていた。よく二人で話していたのは、30歳前後で独立の準備とその実行や日本文化のしきたりについての話であった。ほぼ毎日、この二つの、経済的にそして精神的に自立して生きていくことと文化やしきたりを守るについて散歩をしながら、二人で話した。

人には、準備を重ねて思い切って独立して経営者になる人間と、そのような行動をあきらめて誰かに従って生きていこうとする人間との2種類に分かれる。わたしが病院にいたとき、私は何を成し遂げて社会に貢献できたのか、に答えることなくこのままでは死んでも死に切れないと思った。

2番目の理由として、友人が取り扱っている祝箸の説明について昨年末に英訳をしたことが文化を守っていかねばならないと思うようにさせた。同時に日本文化を改めて意識したのは、40歳位までの友人や知人は、このような美しい新年の祝箸のしきたりに反応を示す人はいないのことがわかったことである。

祖先のよき知恵を引き継ぎ、文化の知恵を守り、よき文化やしきたりを忘れてしまうならば、われわれには頼るべきものはなくなってしまう。守るものがあるからこそ、新しいものを追い求めていく生活もビジネスも可能とになる。また祖先の知恵を守ることが、優れて外国との交際にも役に立つ。

昨年末に祝箸の英訳をしているときに、箸紙に主人と書いているときに思い出したのは、今は亡き両親が、毎年正月に二人で交わしていた言葉である。それは、旧年中はお世話になって、新年もどうぞ宜しく、という二人がいつも正月の挨拶として話していた会話であった。そして、このような美しい新年のしきたりの会話を交わす人などは、いまや日本ではすっかり少なくなっているだろう。

3番目の理由は、ビジネスを軌道に乗せて安定させることも、祖先の知恵を引き継いで文化のよき伝統を守ることから、生まれてくる。長年にわたり学び、私を学ばしてくれたのは、近江商人の家訓の本であった。しかしこの近江商人の家訓については以前にすこし書いたことがあるのでここには書かない。もう一つの本は、20年以上前から何度も何度も読んでいたマービン、トケイイヤーによるユダヤ教の教えについてのタルムードの本であった。

ビジネスで成功しようとする人間には、ユダヤ教のタルムードの教えに学ぶこと、すなわち人類の英知を学び続けることが、とても役に立つことを、教えてくれる。ユダヤ教の知恵に学ぶとは、ユダヤ人は、頭を使って生き、その歴史の教えやタルムードを守るという生き方である。それは、よき古いしきたりや日本のおよび世界中の祖先のよき英知を尊ぶことを、教えてくれた。

2、3つの教え

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ある年齢になれば経営者としての生き方を、田村社長から教えてもらった。

それは、一生サラリーマンで人生を終える人間や、人生で何かを成し遂げることもなく、食うためだけに人生を費やす人間には、未来を自分で実現して、そのあとはこの成し遂げたことでもって社会に貢献しようとする試みも、人はこの世に生まれてきた理由も、わからない。

そのための出来る限りのリスク管理をしていけば、誰でも経営者として生きていけるのである。すなわち自分の才能を使って、人は幸福と繁栄を実現することが出来る。

が、多くの人間はそのような生き方を選ばない。先日嘱託になっても今なお船井総研で働いている人間から年賀が届いた。おそらく彼は、一生社会に貢献することなど思いつくこともなく、その生き方が安全であると思い、組織にしがみついて生きていくだろう。

でももうこれから嘱託として生きていこうとしている人にではなく、できれば30歳代の人に、私は伝えたい。私も30歳代のときには、自分で経験したことがなければ、自信がないものだ。二世経営者などに従って生きていくのでなく、私がコンサルタントとしてやがて自分でビジネスを成功させてきた。

この経験を若い人に伝えたい。伝えたいのは、30歳代の人や、ビジネスで生き残り、繁栄を築き、そしてやがて社会に貢献しようとする人に。

美しい挨拶のしきたりを、亡き両親は教えてくれた。今は亡き両親の新年の挨拶を、祝箸の英訳をしているときに、思い出したのは、古い美しいしきたりを守っていくことや祖先を敬うことの大切さであり、人生は破滅しないで生ききる大切さである。

亡き両親の新年の挨拶は教えてくれる。美しい日本のしきたりや文化を守ることは、祖先への感謝の気持ちと文化は国際的なこれからのビジネスにもなっていく。

さらにユダヤ教のタルムードに祖先の知恵は、学び続ける大切さを教えてくれる。昨年は体が不自由であったが、学ぶには時間があった。学ぶには年齢は関係がない。また学ぶことやくじけそうになるときに励ましてくれた友人が世界中にいればこそ、私は生き残ることが出来た。自分自身の才能の可能性を試みるために、日めくり「楽しみながら」が、それぞれの可能性を試みるために役に立てばよい。

この学び続けることこそが、繁栄と幸福の基礎を築き上げる。

友情があれば、後は、天は自ら助ける者を助けよ


1、ビジネスはベンチャーではない

今回より4人の仲間を共同でこのブログを、「文化と達成」というテーマの下で始める。

このサイトは、ホームデコというタイトルで長年出版してきた雑誌の修正版である。

先日その友人の一人が、あるベンチャービジネスの案内を送ってきてくれた。送られてきた起業家といわれる人達のコメントを見ていくと、そこには日本でただ一人でなぜあるビジネスを始めようとする志が感じられない。あわせて、海外との関係で持って、ビジネスチャンスや経済成長を企画しようと試みる人があまりに少ない、

そこにあるのは、仕事が出来る成功者であることの誇示と過剰な自信である。彼等に見ることができないのは、その志と海外との関係で持って経済成長を期待しようとの未来への取り組みが少ないことである。

少なくとも、独立を準備するならば,少なくとも5年程度の準備がいるし、その準備がなければ、独立が成功することは少ない。彼らのプロフィールを見ていると、そこには、そのビジネスをはじめるにあたっての、どの態度、どの期間にわたって、準備をしたかが見えてこない。

このような長期に渡る準備期間のない人の世界に入ってしまって、うまい話を聞いてはいけないのである。なぜならば、このような人達と交際すれば、まして彼らのセミナーなどを聞けば聞くほどに、二重にも三重にもリスクマネジメントをすることの準備やビジネスで生き残る大切さがわかなくなってしまう。

独立やある夢を実現させようとすれば、最低5年以上の準備がいるし、場合によってその夢の実現は50歳代や60歳代になることもある。しかしあまりに長く嘱託になって働いているならば、人に使われる生活に慣れてしまい、自ら助ける者を助ける、という意味での志の大切さも独立の意味も、わからなくなってしまう。

長年経営コンサルタントとしてわたしは、膨大な数の二世経営者と付き合ってきた。その結論は、この準備期間をもたないで大きなお金を手に入れた二世経営者は、彼らの多くは数年も経過すれば傲慢になって、ビジネスを失敗に導く、ということであった。それゆえに自分で経済的にそして精神的に独立を勧めるのが私の立場である。でもそのためには、学ぶことや必要な期間の準備なくしては、それは実現できない。

2、利害関係で動いている人々

何かを達成しようとすれば、および困難な状況を乗り越えるためには、人生の師とも言う人や友人などの肯定的な励ましあう仲間なしには考えられない。

そしてこれも友人が話す言葉であるが、それは利害関係において人は本当の姿を現さないという事実がある。私の足の調子が悪くなっても、幸いにこのように頭を使えても、外見で判断して人は自分が優位な立場にいるような態度をする人は、どのような立場のどのような年齢の人にも必ずいる、という事実をこの一年見てきた。

私が20歳くらいの頃、よく一緒に酒を飲んだ英語教師のある人は、人をイメージで見ないで、あくまで一人の人間としてみることの大切さを話されていたことを、今でもはっきりと覚えている。具体的な人との付き合いがなければ、限りなく抽象的に考える危険性がある。

この多くの人は、得か損かで判断して行動することを、人は通常忘れてしまう。

そして、ある人が弱者であることわかれば、今までとっていた態度を変える人はかならずいることを目撃してきた一年でもあった。でもこの単純な事実、人は困難なときに態度を変える人はごく身近にどこにでもいるということを目撃することは、実は何を優先して生きていくかを判断するのにとても役に立つ。

反対に前述のような仕事が出来ると意識して過剰な自身のある人の間にいれば、本当の友人は誰なのか、についてわからなくなっていると言っても間違いはない。だからこの利害関係ない付き合いを深めていかないと、人は人生という時間を無駄に使ってしまう。

3、友や人生の師と呼ぶべき人がいるからこそ、達成するための勇気を与えてくれる。

困難な状態のときに励ましてくれる友達や人生の師とも呼ぶべき人がいれば、彼らは夢を実現するために準備や行動と、そしてどのようになっても生き残ることの大切さを教えてくれる。何よりも友人の励ましを与えてくれる言葉があるからこそ、それは、潜在意識に肯定的な態度を繰り返すように、人に挑戦する勇気を与えてくれる。

この友人や人生の師とも人が与えてくれるエネルギーは、医者が処方する薬よりもはるかに役に立つ。

そのような友人が数人いれば、どのようになっても生きていける、ということだ。さらにはビジネスを実現することも出来る。このお互いに励まし支えあっていく人がいれば、人は自殺することはない。

人生の師とも呼ぶべき人や、何時も励ましを与えてくれる友人がたとえアメリカにいようとも、どこにいようとも、このような仲間がもっていることが、利害関係で動く人を見えてくる以上に重要なのである。この外国人の友人が、いつも励ましのメールを送ってくれたからこそ、私は困難な状況を生き残ることが出来た。

一方、私は医療ビジネスに大きな疑問を持っている。そこにいる患者の95%には、自ら助ける者を助けるという精神を育てる先生と呼ばれる人も患者もが、そこにはないからだ。医者は検査と薬を出すだけ、その結果年々膨大な費用を費やしているだけである。利益を上げるのは製薬メーカーである。同様に民主党が実行しようとしている農家個別保証はリターンを生まないと疑問を持っている。どちらも共通しているのは、それらは膨大な赤字を発生するだけでなく、これらには、この自ら助ける者を助けるという精神がない。この精神を育てなければ、何も成果を生まない。

この人生の師とも言うべき人を持ち、そしてお互いに励ましあうことが出来る友がいて、そのような友人は世界中には必ずいる。困難を乗り越えようとするとき、そして夢を実現しようとするとき、すなわち励ましあう友人がいてそして天は自ら助ける者を助ける、との精神があれば、達成できるのである。