ブログ立ち上げおめでとうございます


藤田様

ブログ立ち上げおめでとうございます。

テスト送信として以前お送りした感想に少し加筆した文書を送信します。

●が私の感想です

文書524抜粋

さらにユダヤ教のタルムードに祖先の知恵は、学び続ける大切さを教えてくれる。昨年は体が不自由であったが、学ぶには時間があった。学ぶには年齢は関係がない。また学ぶことやくじけそうになるときに励ましてくれた友人が世界中にいればこそ、私は生き残ることが出来た。自分自身の才能の可能性を試みるために、日めくり「楽しみながら」が、それぞれの可能性を試みるために役に立てばよい。

この学び続けることこそが、繁栄と幸福の基礎を築き上げる。

●タルムードはユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっていますが、非ユダヤ人を対象とした、「古典文学」としてのタルムードを紹介する、一般向けの解説書をざっと読むと、人が生きていくうえで必要とする「知恵」に関する教えが凝縮されているようです。よくあるハウツー本のように○○のときは○○しなさいという安易な提案は行わず、読む人に考えることの大切さを教えてくれます。料理に例えるならば、材料とメニューは用意するが、レシピーは各自が考えるように促しているかのようです。書かれた時代や文化的背景が反映されているので、現代社会の人間にとって、理解困難な部分もあるのですが、上手に取捨選択すれば座右の銘となる部分を抽出できるでしょう。

(藤田)知恵に関する教え;

ご指摘のように、タルムードは、知恵の教えです。そして、各自で考えることの大切さであり、人は頭脳を使って生きていく仕事に従事することを、人にすすめているようにも理解することことができます。

さらには、人に選択についての重要性を説いているようです。それは、何事にも善悪はないので、何を選択するか、によって人生は決まるとも言っているかのようです。

●日本的事象について理解を深めるためには、日本の古典文学、特に古事記、日本書紀、源氏物語、古今和歌集、などと共にタルムード、聖書、コーラン、チベット仏教の死者の書、ギリシア神話、シェークスピアの作品などにも「古典文学として」ある程度親しむ必要があるでしょう。古典が現代まで読み継がれ、語り継がれてきた背景は、人が生きる上で必要な「本質的なナニモノsomethingか」を直接・間接的に伝え、長い間人々の魂の琴線に触れ続けてきたからでしょう。

日本文化をグローバルに発信するためには、日本文化を相対化する視点が必要かも知れません

国内外の古典に親しむことにより、日本文化を相対化してみることが容易となり、日本文化の中から、生きていく上での普遍的な道しるべをさぐり出すことが可能になるのかも知れません。

(藤田)意見を聞かせてください。;

文章524で書きましたように、長年タイトルに使ってきたホームデコから、文化とビジネスか文化と達成」に変えようと考えています。又数人でこのタイトルのもとでブログを立ち上げようとも考えています。一緒にやりませんか?タイトルを含めて、ご意見を聞かせてください。

この人間とは何か、について自分なりに貢献する思いをこめて、達成という言葉がよいのでは、とも考えています。

(藤田)文化に親しみその交流がなぜ必要になるのか?;

情報の洪水に時代であるからこそ、古典に触れることが必要です。ご指摘のように

日本的事象について理解を深めるためには、日本の古典文学、特に古事記・日本書紀・古今和歌集などと共にタルムード、聖書、コーラン、チベット仏教の死者の書、ギリシア神話、シェークスピアの作品などにも、われわれが生き残るためにある程度親しむ必要があります。

付け加えるならば、なぜ多くの経営者がひと時の隆盛をきわめても衰退していくのか、なぜ長期の繁栄を持続できないのかについての理由の一つも、この古典の教養の欠落にあるといえます。世界の古典の教養を身につけることは、ビジネスに必要な判断力を養い、日本文化でもって世界の人と交流が可能になるとともに、同時に日本文化を相対的に見ることも可能になります。

生き残り、繁栄して、社会に貢献するには、経営において人や組織が失敗の教訓をどれがけ次の世代が受けついていくか、似かかっているかは、家訓になどにおいても間違いありません。

●私自身が体験した卑近な例では、ある外国人から、「日本人はなぜ、キリスト教徒ではなくても、教会で結婚式を挙げたり、クリスマスを祝ったりするのか?」と質問を受けたことがありますが、「日本には古代ギリシアやローマのような多神教の伝統があり、キリスト教の神も、数多くの神の一つとして感じ取っているのかもしれない」と説明したことがあります。その外国人は、古代ギリシアや古代ローマと関連づけることで、ある程度は納得したようです。

(藤田)多神教か無宗教か?

私のささやかな体験でも、私がなぜ多神教か無宗教かを先に率直に話したほうが、外国人と深く交流できるようになります。外国人が親友になっていくと、同様に世界への見方もわかってきます。彼らを含めたネットワークに未来の可能性を意識します。

これが理解できれば、日本人のもてなしの心やしぐさも、ビジネスの可能性にとなっていくはずです。

●黒文字 狐狸庵生徒

青文字 藤田さんの文書524より抜粋

赤文字 藤田さんのコメント

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