人は人間になる、のである 526 


1、出版してきた目的

先日野宗さんが自分で運営されているブログの案内を送っていただいた。その今回のタイトルは、「7つの社会的大罪」である。その文章を読んだ後に、以下の文章を書いた。又今回は、人を励ます言葉について書いておられて、何時も野宗さんの言葉は教えていただくことが多いので、以下をぜひ見ていただきたい。
私が何冊かの本を出版した理由、それは、二世経営者との出会いから始まった。そして多くの二世経営者と出会ってコンサルタントとしての仕事をしてきた結果、彼ら二世経営者の根本的な欠点がわかるようになった。それは、彼らが自分で築き上げたものでない財産を持っていることである。それが、やがて彼らの破滅に至る道になることが多い。
だから私の出版の目的は、そのような二世でない人間でない普通の人が、考えられる準備や勉強をした後に、独立して経営者になることの勧めであった。
そして、私たちがなぜ自らが経営者になる必要があるかについて、私は、「楽しみながらのラーニング」ほかの本を出版した。言い換えれば、私の出版の目的は、企業経営者は誰を次の経営者にしたらよいか、についてでもある。
だから前回も私は「人は自ら助ける者を助けるという」タイトルを使った。同様にある二世の矛盾を、野宗さんも説明されている。
常に自己の変革の執念があれば、すなわち人は自ら助ける者を助けるという意識があれば、誰であっても今でも生き残っていけるし、繁栄も幸福も実現できる、と私はいまも信じている。
それでは、何が二世経営者の多くが滅びの道に導くのであるのか?その理由は;

野宗さんによるビジネスマン育成塾と「7つの社会的大罪」および今回の人を励ます言葉などは、以下を参考
http://businessman-ikusei.air-nifty.com/200602/

2、二世経営者を有能な人である、と多くの人も間違えてしまう。

人は自分の努力で準備して何かを達成しそして社会に貢献することが出来る。しかし億単位のお金を自分の力で手に入れたものでなければ、そして多くの場合そのような財産を引き継げば、それは破滅に至る道につながる。が、そのような人を、一般の人は、有望な青年経営者と見てしまう。
彼ら二世経営者は、その財産を引き継いだ数年は謙虚であるかもしれない。しかし数年たてばたいていの場合、傲慢な性格に変わっていく。そしてこの傲慢さが、企業を滅ぼしていく。
それについては、先日友人のMさんが送ってくれた文章が、なぜ傲慢さが滅びに導いていくかについてたくみにまとめておられるので、以下に引用する。

「先日読んだ本の中に興味深い史料がありましたので参考になればと思います。会社を産させてしまった社長たちが作る「八起会」で、「自分たちが会社を倒産させてしまった最大の原因は何か」を話し合った結果、一番目「傲慢さ」、二番目「経営の原理原則についての勉強を怠ったこと」、三番目「次世代を担う幹部社員の育成を怠ったこと」、四番目「売れる商品やサービスの開発が十分にできなかった」でした。一番から三番目まで「人」に関する内容です。」

同様に二世経営者は、傲慢さ、原理原則の勉強を怠る、幹部社員の育成を怠る、商品やサービスに開発が出来ない、などが重ねれば、企業は滅びていく。
特に二世経営者には、この傲慢さがある。なぜなら蚊等らは自分の力で達成し田経験を持たない場合が多いてからである。
又私が主催する「存在と達成の」に小島さんが「本質を見る眼を養いましょう」というタイトルで書かれている中で、合わせて、師と友人を持つことも、大切なので読んでいただきたい。
人や組織は自分で何かを達成したことのない人をわれわれ大衆は選んでしまう、という間違いを犯すことに気がつかない。彼らには、親の遺産はあるかもしれないが、自分の力で達成したことがないし、それが致命的な破滅をもたらすことを、二世経営者もその会社の社員も忘れてしまっている。
注意深く見れば、人はどのような善行をしたか、の碑文を人はこの世に残して、死んでいく。友人も親戚もそして財産も一緒に死ぬときは、一緒にもって死ぬことは出来ない。そして人は人間であるのでなく、人間になるのである。キルケゴールの言葉を使えば、人は人間になるのである。どのような貢献をしたか、についてそれが人に誇りとほかの人に貢献できる、という碑文を刻んで、勇気と元気を持って人は死んでいく。
しかし彼ら二世には、自分で達成したということがない。だから抽象的な言葉に終始する。

3人間性や人間力では説明が足りない。

 この言葉は誤解を与えるかもしれない。でも経済や政治の世界で、軽々しくこの人間性や人間力ような言葉を使う人を、注意しなければならない。
 私にとっても、さまざまな詩人の言葉が、どれだけ勇気を与えてくれたかは計り知れない。そして人生の師である沢佳人先生の論理的表現と芸術的表現の違いを教えていただいたことは計り知れない。しかしこの二つの世界、論理的世界と抽象的世界を混同すると、経営者は入っていけない領域に踏み込んでしまう。

過去に教えていただいたKさんは、人間力という言葉を使えばコンサルタントはだめだ、ということをよく言われていたのを今でも覚えている。その意味は、具体的な部分に分解できない表現として、人間性とかの抽象的な表現にしてはいけない、という意味である。
 しかも人間性や人間力という言葉を使う人間は、この意味を理解できていない場合が多いのである。
 前述の友人からの引用の文章のように、傲慢さがないか?経営の原理原則の勉強,教育、耐えざる商品力やサービスの開発などのさまざまな分野への取り組みが必要である。これ等の説明を十分にしないですべて人間性や人間力と表現していくならば、それはまさしく「7つの社会的大罪」で表現されている二世の致命的欠点になってしまう。

1、出版してきた目的

先日野宗さんが自分で運営されているブログの案内を送っていただいた。その今回のタイトルは、「7つの社会的大罪」である。その文章を読んだ後に、以下の文章を書いた。又今回は、人を励ます言葉について書いておられて、何時も野宗さんの言葉は教えていただくことが多いので、以下をぜひ見ていただきたい。
私が何冊かの本を出版した理由、それは、二世経営者との出会いから始まった。そして多くの二世経営者と出会ってコンサルタントとしての仕事をしてきた結果、彼ら二世経営者の根本的な欠点がわかるようになった。それは、彼らが自分で築き上げたものでない財産を持っていることである。それが、やがて彼らの破滅に至る道になることが多い。
だから私の出版の目的は、そのような二世でない人間でない普通の人が、考えられる準備や勉強をした後に、独立して経営者になることの勧めであった。
そして、私たちがなぜ自らが経営者になる必要があるかについて、私は、「楽しみながらのラーニング」ほかの本を出版した。言い換えれば、私の出版の目的は、企業経営者は誰を次の経営者にしたらよいか、についてでもある。
だから前回も私は「人は自ら助ける者を助けるという」タイトルを使った。同様にある二世の矛盾を、野宗さんも説明されている。
常に自己の変革の執念があれば、すなわち人は自ら助ける者を助けるという意識があれば、誰であっても今でも生き残っていけるし、繁栄も幸福も実現できる、と私はいまも信じている。
それでは、何が二世経営者の多くが滅びの道に導くのであるのか?その理由は;

野宗さんによるビジネスマン育成塾と「7つの社会的大罪」および今回の人を励ます言葉などは、以下を参考
http://businessman-ikusei.air-nifty.com/200602/

2、二世経営者を有能な人である、と多くの人も間違えてしまう。

人は自分の努力で準備して何かを達成しそして社会に貢献することが出来る。しかし億単位のお金を自分の力で手に入れたものでなければ、そして多くの場合そのような財産を引き継げば、それは破滅に至る道につながる。が、そのような人を、一般の人は、有望な青年経営者と見てしまう。
彼ら二世経営者は、その財産を引き継いだ数年は謙虚であるかもしれない。しかし数年たてばたいていの場合、傲慢な性格に変わっていく。そしてこの傲慢さが、企業を滅ぼしていく。
それについては、先日友人のMさんが送ってくれた文章が、なぜ傲慢さが滅びに導いていくかについてたくみにまとめておられるので、以下に引用する。

「先日読んだ本の中に興味深い史料がありましたので参考になればと思います。会社を産させてしまった社長たちが作る「八起会」で、「自分たちが会社を倒産させてしまった最大の原因は何か」を話し合った結果、一番目「傲慢さ」、二番目「経営の原理原則についての勉強を怠ったこと」、三番目「次世代を担う幹部社員の育成を怠ったこと」、四番目「売れる商品やサービスの開発が十分にできなかった」でした。一番から三番目まで「人」に関する内容です。」

同様に二世経営者は、傲慢さ、原理原則の勉強を怠る、幹部社員の育成を怠る、商品やサービスに開発が出来ない、などが重ねれば、企業は滅びていく。
特に二世経営者には、この傲慢さがある。なぜなら蚊等らは自分の力で達成し田経験を持たない場合が多いてからである。
又私が主催する「存在と達成の」に小島さんが「本質を見る眼を養いましょう」というタイトルで書かれている中で、合わせて、師と友人を持つことも、大切なので読んでいただきたい。
人や組織は自分で何かを達成したことのない人をわれわれ大衆は選んでしまう、という間違いを犯すことに気がつかない。彼らには、親の遺産はあるかもしれないが、自分の力で達成したことがないし、それが致命的な破滅をもたらすことを、二世経営者もその会社の社員も忘れてしまっている。
注意深く見れば、人はどのような善行をしたか、の碑文を人はこの世に残して、死んでいく。友人も親戚もそして財産も一緒に死ぬときは、一緒にもって死ぬことは出来ない。そして人は人間であるのでなく、人間になるのである。キルケゴールの言葉を使えば、人は人間になるのである。どのような貢献をしたか、についてそれが人に誇りとほかの人に貢献できる、という碑文を刻んで、勇気と元気を持って人は死んでいく。
しかし彼ら二世には、自分で達成したということがない。だから抽象的な言葉に終始する。

3人間性や人間力では説明が足りない。

 この言葉は誤解を与えるかもしれない。でも経済や政治の世界で、軽々しくこの人間性や人間力ような言葉を使う人を、注意しなければならない。
 私にとっても、さまざまな詩人の言葉が、どれだけ勇気を与えてくれたかは計り知れない。そして人生の師である沢佳人先生の論理的表現と芸術的表現の違いを教えていただいたことは計り知れない。しかしこの二つの世界、論理的世界と抽象的世界を混同すると、経営者は入っていけない領域に踏み込んでしまう。

過去に教えていただいたKさんは、人間力という言葉を使えばコンサルタントはだめだ、ということをよく言われていたのを今でも覚えている。その意味は、具体的な部分に分解できない表現として、人間性とかの抽象的な表現にしてはいけない、という意味である。
 しかも人間性や人間力という言葉を使う人間は、この意味を理解できていない場合が多いのである。
 前述の友人からの引用の文章のように、傲慢さがないか?経営の原理原則の勉強,教育、耐えざる商品力やサービスの開発などのさまざまな分野への取り組みが必要である。これ等の説明を十分にしないですべて人間性や人間力と表現していくならば、それはまさしく「7つの社会的大罪」で表現されている二世の致命的欠点になってしまう。

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