Archive for 7月, 2010

ドラッカーの信頼できる言葉(545)


1、ビジネスこそが繁栄と持続できる社会をつくりあげる?

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[The Definitive Drucker] by Elizabeth Haas Edersheim のなかのドラッカー言葉は、生産的であるし、世界の未を暗示している。

彼が70年以上主張しているのは、ビジネスこそが繁栄と持続できる社会をつくる重要なエンジンであるということである。効果的な経営こそが、ビジネスを動かし続ける決定的な要素であるということである。

もちろんボランティア組織が効果的な場合もあるが、たいていの場合ビジネスのほうが効果的である。しかしビジネスにはあまりに多くの人間が営んでいるので、誰が最終的に生き残り持続できるのかについてのデータは、あまりに少ないので、洞察力が我々に要求される。

私が着目するのは、ボランティア組織よりもビジネスのほうが効果的である、との彼の言葉である。この言葉の意味を深く理解しないで、企業活動やボランティア活動をしている者があまりに多い。言い換えれば、国家では繁栄と持続できる社会を作り上げることができないのに、多くの人はある政党に頼ろうとして、自助努力を忘れていく姿と同じである。

2、自分の長所でもって生きる人生にすることと他人とのコラボレーション

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自分の長所で持ってビジネスの舞台で自分の役割を果たす、しかし自分の長所で持って生きようとしない人は、誰にでも代替できる仕事をして働こうとする。そうでなくて、自分の長所でもって生きてで、しかそして自分に足らないところは他人とのコラボレーションをつくりあげることである。そして時には競争相手になる相手ともコラボレーションをすることも必要になる。

自分の長所を生かすことは、当然自分に足りない分野がるはずで、他人とのコラボレーションを作り上げることと密接に結びついている。自分でなんでも出来るという経営者に何人で会ってきたことか!結局彼らは、他人とのコラボレーションを実現させるという意識を持っていなかっただけである。

自分の長所で持って生きることとは、自分の可能性を追求する生き方を仕事とすることである。そして他人とのコラボレーションをするという意味は、誰かと一緒に楽しく何かを実現することである。

3、足らないままになっていて必要があるものは何なのか?

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我々がしなければならないただひとつは、マーケテイングとイノベーションである。

この二つの問いを持ち続けない限り、我々は自分の競争力を高めることはできないし、独自の価値でもって社会に貢献することもできない。そのためには、今既存の企業のビジネスモデルを調べて何が欠けているかをまず理解することから、イノベーションが始まる。

例えばすでにしている企業や組織に不足しているものは何なのか?についていつも自分自身に問いかけねばならない。そうしなければ、例えば医療や介護の分野におけるイノベーションは生まれてこない。どの分野でも足らないままは何なのか、を知ることからイノベーションは、生まれてくる。

4、関連分野を常に調査しているか?

ビジネスで競争力を持つには、競争力という展望に影響を与える関連分野を常に調査し続けねばならないのである。

たいていの場合、アイデアは自分の考えている枠外out of the box にある。アイデアは自分が思っていることと違うのである。この関連分野の調査が無い限り、同じ業界の中にいる限り、いつまでたってもひとつの地位しかえられないことに気が付いているだろうか?関連分野の中にこそ、ビジネスのアイデアの宝庫である。

ある企業は、どのように見ても全国の中のひとつの代理店にしか見えない。それなのに、展開しようとしている。例えば医療とスポーツコーチの仕事は、密接につながっている。一方介護などの同じ仕事をいつまでもしていても、この関連分野は見えてこないの。それゆえに、関連分野を調査する人や企業以外の成長は、止まってしまう。

同様にネットの接続サービスの仕事をしていても、この関連分野としての商品力という関連分野のサービスを学ばなければ、30歳代であっても成長が止まってしまう。

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5、分類、優先順位、判断、タイムマネジメント

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知識に知識を応用する能力が、生産性を向上させる重要な要素である。知識を分類して、優先順位をつけることである。マネジメントの有効性は、優先順位をつけて、タイムマネジメントをして、効果的な判断を行うことにある。

米)分類し、優先順位をつけない限り、効果的な判断が出来ないし、決定したことを実行するにはタイムマネジメントが必要とされる。

我もが分類と優先順位をすることによって、自分の時間が生産的に使うことがだ出来る。

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6、リスクとともに生きる

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リスクを引き受けることが、何時もビジネスそのものの中に含まれている。大きなリスクを引き受けることは、難しい。しかしそうしなければ競争相手が追いついてしまう。

ビジネスをしている限り、リスクを避けることは出来ないのが、経営者である。

学者やサラリーマンと何が違うのか?それは、我々が現実にこのリスクを持って日常を生きていくことにある。長年誰かに使われていれば、リスクと共に生きる、という意味が分からなくなってしまう。歳とともにリスクとともに生きている人間とリスクから逃げる人間は、全く人相が違ってくる。

7、人と企業に魅力があるか?

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いかなる規模に関係なくビジネスの衰退の最初の兆候は、十分に資格があって、有能で、野心的な人をひきつけなるという、魅力の喪失である。

この魅力こそが、人をひきつけるし、人間の衰退の兆候は魅力の有無にある。人間の可能性に挑戦する人間は、同じようにビジネスで成果を上げるようにする。そうしようと試みる人には、社会に貢献した人間がモデルになる。私が書いた本多静六氏や小島さんが公開されている岡島嘉平次などのように、社会貢献をするときに、仕事の目的が変わってくる。その時に、人間の魅力は増えていく。仕事で成果を上げた時に、人は社会貢献を考えるはずである。売上を目的にしているときは、まだ本当の仕事を人はしていない。

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岡島嘉平次に学ぶ 町人文化に学ぶ


下記の岡島嘉平次と源ヶ橋の由来などいろんな先人達が
社会貢献していた事を思い描きながら藤田さんのブログを読んでいました。

大阪は東京といろんな面で違う反応があるのはある方の言葉を借りると
「町人文化」が根強く残っているからだそうです。

正当な方法で利益をだして、成功し、社会貢献できる事が素晴らしい本当の成功者だと思います。

そのような、人に自分自身も近づけるようになりたいと考えています。

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岡島嘉平次?  (毎日新聞より抜粋)
http://mainichi.jp/life/travel/news/20100722ddlk27070359000c.html

岡島嘉平次は、1757年から明治時代初めに至るまで、代々この名前を襲名し、千島や恩加島(おかじま)、小林などを開き、田畑の開発に精魂を傾けた。

初代は千林の庄屋で、独学で埋め立ての技術を学び、その財力を駆使して千島などを開いた。当初、大坂町奉行と京都所司代に開拓を願い出たが許されず、幕府に直訴に及んだというから、その情熱たるや、頭が下がる。許可されるや、開拓地の地代銀4305両を納めて着工。自らが開いた千島新田に移り住んだ。

「小林は千林の林を取って付けられました。恩加島の地名は、幕府のいきな計らいです」と西俣さん。もちろん、岡島の字を替えている。南端の南恩加島は2、3代が開墾。この地は砂州で、沖合に近かったから、工事は難渋したと思われる。「大正区史」によれば、江戸時代の恩加島新田の堤防は川砂を積んで粘土質で土塗りしただけで、幾度も決壊したという。堤防にはキツネがすみ、水害が起きるとすみかの穴から浸水したそうだ。

こうした功績をたたえて、時の代官が「この恩を後世に加えるべし」と名付けたのが恩加島だ。「大阪人物辞典」によると、代々の岡島家が開いた新田は17にのぼるという。

大阪には大半がこうして町人の寄付による新田開発、橋の建設が行われたとの事。

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大阪ではこんなふるい伝説があります。

「源ケ橋」の由来(生野の民話より)

200年も昔、江戸は、文化と言われる頃のことです。
「猫間川」の渡し守をしている「源」という悪党がいました。
通行人から暴力で金品をまきあげきあげて生活をしていたのです。
或る日、例のように、一人の旅人からみぐるみ剥いで殺してしまいました。
ところが、この人が、長年行方を捜していた、我が子だったのです。
さすがの悪党の「源」も深く悲しんで悔やみました。
思い悩んだ末、ついに罪滅ぼしをしようと決意します。
自分の身代をすべてなげうち、「猫間川」に橋を架けることにしたのです。
この橋は、すごい橋でした。それは香木に使われる「伽羅」で出来ていたのです。
この香り高い伽羅香木の橋は、源さんの悔いを表して、あまりあるものでした。
人々は、善人になった「源さん」に因んで、「源ケ橋」と名づけて呼んだのでした。

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ビジネスで成功しお金を稼いで社会貢献する事

先人の素晴らしい生き方が今も語り継がれている事

「岡島嘉平次」や「源」のような良き先人に学び

後世に語り継がれるビジネスの成功者を目指しましょう。

成功の法則(544)


1、???????? 修正や失敗を見つけたなら、即実行する

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本多静六氏の言葉は、人生の師としての教えである。

その言葉は、勤勉と適切なる努力によって常に前進していけば、より高き理想が次々に表れてくることを、教えている。そのためには失敗の経験をいつまでも伝えていくことが、永続する人と企業を作っていく。加えて、修正することや失敗を見つけた時には、なにであれ、即実行することにある。

反対にこの失敗の経験をいつまでも忘れないで、そしてこの即実行ができれば、どのような時代になってもビジネスの世界で生き残っていける。

一方反面教師として、政府は落選の千葉法相を民主代表選までは続投させようとしている。このように素早く修正や失敗を認めて早く修正を実行することから、長く存続できる企業と人は生まれてくる。しかしこのような経営における修正や失敗を即実行が理解できない人間と政党が、この国の政治をしているという事実である。

まして我々の若い時の貧乏や失敗こそが、この富を築くための礎石になっていくのである。即実行することと時流の動きを読むことから、永続するビジネスはスタートする。私にとっても25歳くらいの時の失敗が、経営コンサルタントのスタートや自分でビジネスを始める原点となっている。

 反対に自分で行動ができない人は、当然自分で何かに卓越しようとする試みをしようとはしない。そのような人は、自分で行動することについては言わないで、社会を批判ばかりすすることに、人生を費やしていく。結局は、ゲーテが言う生産的に生きるのでなく、社会に頼ろうとする。

2、???????? 時勢の動きを味方にする

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金儲けをしようとすれば、日本と世界中の時勢の動きを、自分の頭でいつも捉まえなければならない。

 この未来への洞察力、または時勢の動きを巧みにとらえることができれば、ビジネスでの成功や金儲けは実現できる可能性が大きくなる。

一方あまりに長くサラリーマンの生活を続けていると、時勢の流れに鈍感になってしまう。また定年にもなってまだ働いていると、あまりに長く誰かに雇用され続けていると、この見えない時流の動きが完全に見えなくなってしまう。そしてこの時流の動きを学ぼうとしない人間には、幸運の女神もほほ笑んでくれない。

 しかしながら私は運の働きがあることも、認めている。ギリシャ悲劇のソフォクレスによるオイディプス王のように運命の悲劇が人生に訪れることも認めている。同時に見えない赤い糸で結ばれているような愛の出会いがあることも、私は信じている。

 それらを認めたうえで、時代の流れを人は味方につけることができるかどうかである。

現在は3年もすれば世界の動向はすっかり変わってしまう。右肩上がりの経済は、日本では過ぎ去った遠い記憶になってしまった。それどころか、現在のこのような政府が続く限り、財政赤字の不安は亡霊のごとく、ますます大きくなっている。

この失敗の記憶をいつまでも大切にして、そして時勢の動きを味方につけていき、いつ失敗するかもしれないという危機意識と不撓不屈の精神をもっていれば、時代の流れがわれわれに味方にしてくれる時がある。

 時代を味方にすることができて、これらの意識と精神を持っていれば、中年以降に人は社会への自分でできる貢献の仕方も、思いつきその実現に向かうはずである。

3、???????? 嫉妬から解き放つ

不正でない方法で金儲けができる人や企業には、どこか及ばない偉さがあることを正直に認めて、賞賛することである。このすぐれた人や企業を褒めたたえて、その良いところを常に学ぶことである。そして祖先を敬いや本当の励ましあう友人がいるからこそ、困難から乗り越えることができて、繁栄を享受できることにも感謝する。

一方金儲けを悪く言う連中には、金儲けしそこなった連中の嫉妬が潜んでいる。そのような人たちは、卓越した状態になることができた人を尊敬しない。そのような人たちは、不正でない方法で金儲けができた人から学ぼうとしない。多くの人が不正でない方法で金儲けをした人から尊敬することも学ぼうともしないで、そうした人への嫉妬に取りつかれていることを発見したとき、愕然とするだろう。

そして嫉妬がいかに大きいかは、いわゆる社会主義政党と言われる政党の主張やマルクス主義思想をいまだに支持している人の話を聞けば、容易にわかる。一見物分かりがよいように見えるいわゆる人でも、実はこのすぐれた人や企業を称賛しないで、嫉妬の亡霊に付きまとわれている人が意外に多い。

変化の激しい時代において、優れた人やすぐれた企業を素直に称賛に値する。儲けるのは、それほど難しいのと、そのあとで多くの金持ちは、社会への貢献を考えるものである。

最も考えられる不幸の原因は、我々の心深く根差しているのが、嫉妬なのである。いまだに結果の平等を求める政党がある。彼らは、何かを達成したあとで、社会に貢献する人などを褒めたたえることはない。どこか及ばない偉さがある人や卓越した企業家から学ぶかどうかである。。

本多静六氏の言葉より;

「どんな小さな理想(一歩前進)でもよろしい。

それがひとたび実現すれば、

もはやそれはその人の人生の現実となる。

しかもその現実を土台にして

より高き理想が現れてくる。

私の肉体はいつか滅び去るであろうが、

私の思想と事業は、永劫に伝わり

永久に生き残ると信じて、

最後まで働きそうと決意したのである。

世の中で、一番ありふれて

一番真剣なのが

金儲けの道である。

不正でない方法、不正でない努力で、

金儲けに成功できるものは、

どこか常人の及ばない偉さがあると私は信ずる。

金儲けは金儲けとして、あらゆる人が与えられたすべてのチャンスを掴めるのがよい。自分の頭で、時勢の動きというものを捉えていかねばならない。単なる人聞き,人まねでは絶対だめなのだよ。

金儲けに成功したのを悪くいわれるのは、金儲けしそこなった連中の嫉妬からじゃよ。」

  ;本田静六著「私の生活流儀」実業の日本社発行より

コーチと共に、卓越への状態を実現する(543)


1、?????? 卓越した状態の達成の分析

 私はこのブログのタイトルを「文化と達成」と名付けている。達成の意味は、人はそれぞれの才能を発揮して、誰もが卓越した状態を実現することができる、と考えているからである。卓越した状態になることは、それが仕事の場合、天職になっていく。スポーツの場合は達成感を体験できるようになる。どちらにおいても、どのような小さな一歩前進からより高き理想が開けてくるので、それは、限りなく我々に幸福な気持ちを与えてくれる。

 ある段階になると、例えばゴルフ場のコースをただ回るだけでは、われわれは期待した上達が得られないことを知っている。それゆえに「どこが間違っているのか?」「未来の間違いをどうしたら避けられるのか?」を知るために、専門家にアドバイスを求める。

でもアスリート、小説家、ミュージシャン、などの様々な分野の専門家は、現実には集中した練習時間に一日に4,5時間以上も使っていない。さらに専門的な科学者や教師でも、最も難しい精神的な活動のために、たとえば新しいアイデアを書き留めるような活動に、朝の2時間程度割り当てているに過ぎない。卓越した経営者が未来のための戦略についての洞察力を高めるのも、現実は一日に2時間程度である。

これでは、集中する時間が少ないように見えるが、一年では700時間で、10年では、7,000時間になる。60歳以上のミュージシャンも,よく考えた練習を週10時間はしている。実はそれだけの練習時間で、20歳のスピードとテクニックに追いつくことも出来る。

我々が現状維持という心地よいゾーンの外に出るためには、常に目標の設定と訓練に時間を慎重に割り当てる。そのために多少の犠牲が必要になるが、これに必要なのは訓練である。

慎重に計画された練習に一日2時間使うだけで、誰でも何かを成し遂げられる。

このように慎重に計画された練習が、目的実現のためには最も効果的な手段であることを理解しているときにおいてのみ、われわれは卓越という状態に到達することができる。要するに慎重に計画されて練習への合理的な取り組みが、成功への礎石になる。練習が我々の頭脳にも筋肉をつけさせてくれる。

2、?????? ポジティブなアシスタンスであるコーチ

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私たちが何かを達成しようとするためには、訓練の時間を割り当てるのは当然である。卓越した成果を残した人間の歴史を調べてみると、彼らは多くの時間を準備と訓練に当てていたことを我々は間違いなく発見する。

同時に、ある有名なバイオリンの教師が指摘しているのは、新米の巨匠は勝手に練習をしていない、という事実である。有名なアーティストの発展の跡を分析すると、たいていの場合彼らの仕事の成功は、練習の質に依存しているということが分かる。実際あらゆる場合、練習は教師によって常に管理されていた。要するに準備と訓練に相当な時間を割り当てて、そして訓練の質に、達成の礎がある、のである。

何かを達成する人は、惜しげもなく時間を与え、褒め称えるコーチによって、指導されている。褒めたたえるコーチは、否定的な批評を言う人ではでない。逆に我々が誰でもが卓越する人になるために必要なのは、ポジティブアシスタンスをしてくれるコーチである。人生において困ったときに、我々の力となって、心のよりどころになってくれる人である。相手の長所を発見して、励まし、勇気づけを与える人である。

なぜなら人生で卓越した業績で持って貢献しようとする者は、それぞれの技能を高めるためにもっとも優れたコーチを探している。すべての分野でのトップの達成者は、世界レベルの水準にあるコーチと一緒に仕事をしている。我々も、このトップレベルのコーチを必要としている。

専門のコーチを持つことは、我々が人生でさまざまな違い、すなわち卓越した状態を作りあげるのに役にたつ。コーチと一緒に始めることが、卓越の状態になろうとする人には、役に立つ。

13世紀のベーコンは、30年以内に数学をマスターするのは不可能といった。しかし現代では学者が、数学の教材をもっと分かりやすいものにしている。数学の生徒は、もはや自分自身でエベレストに上る必要はない。よく踏み込まれた道をガイドについて登ることが出来る。

 

3、専門の技能の発展のためには、コーチが必要とされる

このように我々のいずれの専門の分野の技能の発展させるためには、建設的で時には厳しい評価を与えてくれるコーチを、われわれは必要としている。本当の専門家は、卓越した状態になりたい人をやる気にさせてくれる。実は卓越した状態の達成者は、正しいことをしていることと間違ったことをしていることは何かについて、知っていたのである。注意深く選ばれた感情的でないコーチは、可能性への挑戦に我々を振り向けて、高い成果のレベルに駆り立ててくれる。

 最善のコーチやコンサルタントは、あなたが困った状態の時にこそ、次の段階として改善すべき、あなたが取り組む分野は何であるかを教えてくれる。なぜなら、コーチがあまりに早くそして困難な課題を押し付けたら、人はイライラするだけで、成長しようとする試みをあきらめてしまう。この次に取り組む分野に明らかにすることに、卓越する者の秘密は隠されている。

4、セルフコーチ

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技能が高まるにしたがって、コーチはますます我々が自立するように助けてくれる。だから、自分自身で成長できるプランを作ることが出来るようになる。よき親は子供が巣から離れて自立するように勇気付けるように、よきコーチは生徒が自らの内なるコーチにいかに頼るかについて、自立ことを応援してくれる。

 自称専門家にとっては、トップレベルの達成者の成果を抽象的な神秘のベールをはがしたいはずである。なぜなら、天才的な人間は生まれつきで作られるものでない、という考えを、人々は深く理解している。

この例として、モーツアルトを揚げることが出来る。彼は子供のころからの音楽の才能のある天才として取り上げられている。モーツアルトの達成したものは、其の時代で比類が無いことに、誰も疑わない。彼への指導は4歳になる前から始まった。彼の父もまた熟練した作曲家であったし、有名な音楽の先生であったし、バイオリンの指導書の初めてのひとつを書き残している。ほかの分野の達成者のように、モーツアルトは生まれつきの専門家ではなく、彼はそれになったのである。

我々も同様に人生の達成者として、訓練とその質があれば、自分の可能性に挑戦してそれを達成できるのである。

愛のエネルギー(542)


1、愛のエネルギー

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愛は、我々を結びつける聖なるエネルギーである。愛は、電流のように我々の中を流れているエネルギーである。例えば手を握り合うとか肩にタッチすることによって、愛のエネルギーを人に伝えることができる。同じように、人にやさしい愛の言葉を使うことによって、愛のエネルギーを相手に伝えることができる。愛のエネルギーによって、人は愛を感じることができるし、癒される事もできる。

幸福な生活を送るためには、我々は自分で自分をコントロールできるようになることと、お互いに励ましあう友人を必要としている。幸福な生活のためには、加えて理性的に考えること、勤勉に働くこと、たゆまない努力によって、長期にたる自分にとって自分の才能を発揮できるもの追求して、思い切った勇気を持って、困難なゴールの設定する、なども必要としている。

意識的に人生をすごすためには、どのような境遇になっても、自分をコントロールできるようになることである、さまざまな今起こっている事件について、冷静に対処できる個人の能力を高めていくことだ。そして自分のまわりの環境をよい環境に変えるように働きかけて、その結果自分の未来を自分でコントロールすることである。

このようにして毎日をコントロールしていく(マネジメントできる)ようになると、人はマラソンランナーがゴールにたどり着くように、幸福と繁栄を手に入れることができる。

2、自分を大切にして、誇りに思う

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幸福は、自分のライフスタイルを自分で選び、訓練、努力、そして勇気と謙虚さでもって実現しつつある自分を、ほめてやる気持ちから生まれてくる。幸福は、きわめて個人の内部のことであるから、誰も他人の幸福を外見で判断することはできない。

しかも現実には自分に正直と努力でもって、繁栄と幸福を実現している人は少ない。この理由は、多くの人は、自分で自分の人生を作り上げていくのに失敗しているからだ。この失敗の原因には、どこまでも探求しようとする青春時代の意識と自分を誇りに思う気持ちが欠けていることにある。

たとえ一時にどのような困難に陥っても、理性的であることと自分に誇りを持ち続けることが、長期的な成功の基本になる。

自分を誇りに思うとは、自分だけの価値の実現をすること。すなわちお互いに自分の能力を絶え間なく向上させていこうとする気持ちを大切にする。同時に自分の時間を効率よくマネジメントできる能力をみにつけて、困難に対処できているという得がたい体験から生まれてくる。

3、男と女のロマンチックな関係

男女の関係は、年齢の違いを超えて、お互いが持っている客観的な価値の交流を生み出す。その結果、お互いの成長とそのためにお互いに励ましあうという友情を生みだす。このようなお互いが励ましあうという意味において結婚は、必ずしも制度的な結婚を意味しない。よい男と女の関係は、お互いに相互によって同意されたもっと正直で、長期にわたるロマンチックな愛の関係となっていく。

ロマンチックな愛の関係は、お互いの価値を認めてお互いが成長し、発達させることによって、深化していく。ロマンチックな愛は、自然にまたは偶然起こるものではない。人生の価値は、個人の能力を生涯にわたって高めて行き、正直な努力によって、育てていくことができる。

ロマンチックな恋愛の関係におけるお互いの成長のための重要な要素は、抑えることのないオープンなコミュニケーションから生まれてくる。特に否定的な感情にとりかこまれているときに、それは役に立つ。

心理的にストレスを受けているときにこそ客観的にコミュニケーションする能力は、うまくいく恋愛のパートナーにとってとくに重要である。オープンなコミュニケーションが、自然にお互いの価値を認めるようにしていく。

多くの価値は、個人のユニークなパーソナリティ、好み、味わいから生まれる。そしてこの価値は、よいとか悪いとかなどではない。多くの価値はただ個人的な好みの違いを反映しているに過ぎない。

多くの人がする主な間違いは、他人に自分と同じようになることを期待してしまうからだ。人は同じではない。もうひとつの失敗は、他人の基本的な性格を変えられるという考え方である。

まじめな男と女の関係における楽しみは、お互いの価値と大切さを認めあうことである。

したがって偶然のセックスの楽しみのみに基づく出来事は、せいぜい快楽に限定される関係である。ひと時の快楽のみに基づく情事は浅く、深まり成長していく楽しみ伝えるには、あまりに限られた関係である。いつまでも偶然の快楽のみのセックスは、個人が自分を誇りに思う気持ちをなくし、不能、性的不感症、つのる不安に導いていく。何か困難なことを実現するには、厳しい山に登るのと同じように、自分自身の心と体を健康に保ち、目標に近づくために、自分をコントロールしなければならない。

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4、若さという外見的な美しさ

驚くべき身体的な美しさを持っている少数の女性には、確かに社会における自然の競争においてぬきんでていく条件を与えられている。

一方、正直、努力、勤勉によって自分を成長させるための挑戦すべき環境として受け入れる普通の人は、若いときの美人を、その後やがて追い越していく。だから環境に恵まれて育った美人との、すなわち努力のない生活、低い生産性(お金と自分の時間についての)の生活をしている人との交際においては、注意しなければならない。

さまざまな出会う人を判断するには、分析的な考え方が必要である。客観的な考え方とは、よりよい人の関係を増やしていくための適切な行動をすることである。

努力しないでいられる環境にいて若いときに美人である人は、長期的にはその人は人間的および性格的に面白みのない人、馬鹿な人、自分を誇りに思うことのない人の場合がある。

自分自身と幸福な時間を大切にする人にとっては、もっとも可能性があって一生にわたって続くロマンチックな関係のパートナーを見つけてくれるような活動に参加するのがよい。

機会は自分で作るものである。この可能性は、でたらめな機会にゆだねるものではない。何かを実現するには、リスクをひき受けて、思い切って行動して、自分自身で自分をコントロールできるようになる必要がある。

お互いが励まし成長しあうことによって、お互いのパートナーは相手にとってもますます大切な人となっていく。お互いの利益は、オープンな話し合いによる違いと問題を認めることによって得られる。ロマンチックな愛の関係において、うまれる問題と意見の違いは、お互いにとっての成長すべき分野を気づかせてくれる。このようなプロセスは、お互いの親しさと楽しさを増していく。

男と女の間の愛は、二人の間での理性的な価値を交換することによって、愛のエネルギーを与えあうようになる。