森と木を見る2(597)


5、翻訳と日本文化

 

 

仏教、本当の教え」において著者の植木雅俊さんが、壮大な伝送ゲームの果てに、インド、中国、日本の仏教がいかに異なるのかを、説明している。そして日本文化の特質や富永仲基も、取り上げている。

 

中国語からの仏教が、仏教を分かりにくくしている。 また翻訳は、様々な国の文化を理解することなくては、十分に伝えることはできない。日本文化としてこの著者は「日本の仏教は、最初から国家のためと言う鎮護国家で始まった。

 

日本において個人は集団の中に埋没しやすい。そういうところからは、独創性はなかなか受け入れられない。一方、インドでは「現象よりも普遍的実在を重視するためか、歴史のような現象的な事柄に対する関心は、希薄なもとなる。」と言う日本文化の特徴があると指摘している。

 

翻訳は、その原著の意図とその国の文化的背景を翻訳者が十分に理解しているときにのみ、国を超えて伝えることが可能になる。そしてふさわしい単語がある国にない場合、翻訳できない表現もあることも、認めておかなければならない。

例えばバートランドラッセルの「幸福論」を英語で読むときに、その簡潔な文書を味わうことができるが、日本語のそれは、分かりにくいことに、誰もが気がつくだろう。このように中国語の漢字への翻訳が、仏教を分かりにくくしている。

 

前回に書いたようにイノベーションは、辺境から生まれてくる。それは大阪の知事、市長選挙であった。また、ブータンの国王、王妃のレセプションの言葉から、幸福の意味を見直す機会にもなった。日本の場合、西の地域や国から、イノベーションが起こってくるのは、間違いんない。

 

 

6、口頭で読みあげて、伝わる日本語

 

 

中国語への翻訳からわかりにくくなった仏教でなくて、仏陀の言葉を読む。そして改めてイノベーションは、西の辺境から生まれることが分かれば、ブータンの幸福とは何かと、本当の仏教は何かなどを、今一度私たちに教えてくれる。

そして外国の文化を理解して、そのような外国の人達との絆を強めて、ブータンを支援するのが日本であるだろう。

 

日本語を書くためには、いつでも外国人にも理解できるわかりやすい日本語を使う必要がある。口頭で読みあげて、伝わる日本語を書いて、使う必要がある。いつも翻訳できる日本語を使っていないと、表現も考え方も混乱していくのである。

 

国によって違う文化の違いが、判断や選択の違いを生み出している。世界的に普遍的なこともあるが、文化が異なると、違いを生むことも理解する。これを理解しておかないと、日本語ででも私たちが普段伝わりにくい表現を使っていることも、気がつかなくなる。

 

わかりやすい表現を使わないと、伝言ゲームの果てが作り出すのは、富永仲基が偽りと指摘した大乗仏教のように、大乗仏教は釈迦の教えとは異なる。シ―ナアイエンガ―が言うように、国の文化の違いによって、人が選択することも違ってくるのである。

 

 

7、江戸時代には、平和と繁栄の知恵がある。

 

 

童門冬二さんの「江戸のワイロ」を、友人のお金学http://okanejuku.blog92.fc2.com/ で紹介されている。読んでいくと、そこには、250年の平和の時代、特に田沼意次の重商主義には、繁栄の知恵が眠っている。

Ⅰ、花と実を分けて、名誉と実益を分ける知恵は、公務員の所得を高めないことです。

2、江戸時代の経営学者である海保清稜の 上下を富ます ことです。一方に偏る時、国は衰退します。

3、江戸時代の建築業者である川村瑞賢 の生業の道 を与えることです。雇用の機会を作ることです。

4、お金持ちにお金を使わす ことです。

ワイロはチップのように考えて、あまり清潔な政治を目指さないこと事かもしれない。これは大人の哲学であって、若者や女性にこびるのでなく人間の本質を忘れないこと、森と木を見ることである。革命でなく、さまざまな異邦人を歓迎する、少しずつ進化する右肩上がりの社会を目指す。

 

花と実を分けたからこそ、250年の平和を実現できた。昔はわたしも田沼政治を悪くとらえていましたが、今は、むしろ重商主義の田沼政治は、人間の本質を掴んでいることが理解できる。

上下を富ますことである。どちらかのブループに偏ってはいけない。アメリカと日本では、パレートの法則が支配している。経済成長と社会の平等や中間層を増やすことである。が,富ますのは、官僚ではない。富を作るのは民間である。

 

政府によるばらまきでは、成長につながらない。この隙間をついて、維新の会の地方自治が中央集権国家を変えるかもしれない。

 

ユーロの経済力を支配しているのはドイツである。ドイツはユーロ諸国から利益を出しているから、ドイツもそれ以外の国もどちらも、離れることはできない。日本でも北海道や沖縄の問題も同じである。地域的にも南北を富まさねばならない。

 

雇用の機会を増やすことである。そのためには、アメリカの相場と比べても、最も下落している日本の株式相場を上昇させることである。そのためには、円高に無策で、選挙によって選ばれていない日銀首脳を解任する権限を内閣に与えることである。そして老人ばかりが目立つ日銀を、若手に任すことである。

8、花と実

 

 

若い時には実、即ちある程度の経済力を達成できなければ、屈折した嫉妬や憎悪が心に住みついてしまう。いつまでもお金に使われる人間になってしまう。

一方、老いてきたときに、花、すなわち名誉を取らなければ、後に何も生命という大きな樹に残すことができない。

言い換えれば、20代や30代で実、すなわち経済力を取ることである。

又良寛のような愛と笑いのマスターが、年老いてきた時にふさわしい。やはり普通の人には、経済的なそして精神的な両方の繁栄が望ましい。

何事も抽象的に考えるのでなく事例でもって考える時に、具体的にわかるようになる。政治家の本質は周旋屋である、意思決定できない政治家は、社会に閉そく感を与える。複雑さを見るには森と木を見ることである。

上下を富まし、官僚を富ますことや特定の階層につながる政治家を富まさないことに、政治の本質がある。本来自分の努力である程度成功した人間でなければ、政治家の多くはいずれかの組織に近づき、そこから利益を得ようとする人達に、政治家はなっていく。

徳川家の安泰でなくて、270年の江戸時代の平和と繁栄の仕組みの知恵を見習う。そして上下を富まそうとするエネルギーが、現代の政治からは、なにも見えてこない。むしろ、この平和と地方自治による繁栄は、辺境や東からイノベーションが生まれてくると言う新しい現実が見えてくる。

 

社会主義には、憎悪や嫉妬が潜んでいる。またお金持ちが喜んで楽しくお金を使うような政策をすることによって、世界中のお金持ちが日本に集まるような地域を、まず関西に作ることである。部分的には韓国がそうしている。それを関西やほかの地域でして、活気を呼び戻すのである。

 

森と木を見るときに、違った世界が見えてくるのである。これらが今も変わらぬ政治の要諦です。そしてもっともっと270年間続いた江戸時代の平和と繁栄の知恵を学ぶ事です。

 

それゆえ、難解な事を洞察する力をつけるには、森と木を見ることである。事例や歴史やビジョンをもって、頭脳の思索の暴走を防ぐようにする。複雑に見えるものを洞察力でもって見る事であり、森と木を同時に見るようとする能力を高めていくことである。

 

そこでは、人間の本質として、選択する自由と中庸が生かされてくる。そこには、未来と希望と友情や笑いやユーモアがある。そこでは、複雑な問題について洞察力をもって、森と木を同時に見るとビジネスの哲学がいるのである。

 

我々は、選択する自由をもとめて生きる生物である。改めて問うのは、集団に埋没していく日本の文化の中で自由に向かっての個人の行動である。

 

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