Archive for 4月, 2012

人を採用する基準(612)


1、桜に思う日本人の美

“願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ”
(西行法師)

The cherry trees all over Japan are burst into full bloom now.  Not only Japanese find beauty of cherry trees in full bloom but also in the way they flutter pedal scattering.

2、聖人は道、賢者は知,凡夫は仕事、愚者は快楽

聖人は道、賢者は知,凡夫は仕事、愚者は快楽』を、それぞれの人が追い求め、できるだけその原理に沿って生きていくのである。現代の言葉で表現すれば、聖人とは、この宇宙、世界、人間、を動かす原理を見極めようとして生きる人である。その人の道は、科学、自然、芸術、宗教の道と交差している。

賢者とは、賢く頭脳を使う職業や知的な世界に生きようとする人間であるだろう。賢者は、教育に関係した仕事をする。

凡夫は、いつまでも損得の世界に生きて、ただ犬猫のように食べるだけで頭がいっぱいの人間。そして、損得の世界から一生ほかの世界に出て行けないで人生を終わる人間のことかもしれない。それは私の趣味である写真でも、誰かをモデルとしてその世界を高めていこうとして集中して、芸術的な感性を高めていくか、そうしないでシャッターを押すかの、かの違いかもしれない。

愚者とは生命としての今生きている目的などには思いも至らなく、この世に生きて貢献など考えもしない人間である、とも表現できる。

出来れば聖人に学び、賢者として生きたいもので、そして凡夫や愚者からも学ぶようにしたいものである。そして、世界は結果の平等の社会から機会の平等の社会に変わろうとしているが、それすら、気がつがつかないのが、停滞の日本の社会である。

そして人間は聖人の世界を垣間見て、賢者として、自然、教育、芸術、宗教、などと交差するものとしての生命としての成長や生物学を学びたいものである。

 

3、経験については妥協してもよいが、性格については妥協しない

 

 

私が知っていた大津あいあい保育園の園長からの求人募集のメールを見て、ある女性にそこに応募するようにと連絡した。そこで働くことになった。その女性は長くそこで、働きそうである。それほど嬉しいことはない。

幼稚園や低学年の時の教育では、性格を作る教育が、大きな影響を与える。だから今回は性格を見極めるが、人を採用する基準が、今回のテーマである、人を採用する時には,人の性格については妥協しない事が大切なのである。

あなたの職業の経歴が人を採用する時の基準となる。だからそれを思い出して、使うようにする。

求人募集に応募する志願者の可能性を発見するための最善は、私たちが持つことができる洞察力を使うのである。

人を採用するとき、応募者の経験については妥協してもよいが、応募者の性格についての洞察力は妥協してはいけないのである。

わたしたちの経歴がその洞察力の尺度になる。それを使う。志願者の可能性は、リーダーとしての人生経験から得られたあなたの洞察力から、探し求めていた求人の人の性格を、判断するのである。

4、           数年の間に私たちのためにしようとするのは何ですか

あらゆる分野のベストな志願者の評価は、人を違ったように見るわたしたちの能力である。評価する人は、基本的な志願者の性格とその動機に集中するのである。むしろ古典的な基準である経験にただこだわることよりも、相手の性格と動機についてである。

勿論、人の信用の証明書や職務経歴書は、今なお重要である。しかしそれは、それ以上のすべてを示していないのである。採用した志願者のある基本的な能力が確立されるや否や、次の質問をすることも重要である。

それは、「今日何をしてくれますか」という質問でなくて、「今から数年の間に私たちのためにしようとするのは何ですか」という質問を新規採用者にすることなのである。この貢献への質問の未来を見つめる展望の報酬は、とても大きいものになる。

志願者の経験には妥協しても性格には妥協しないのである。次には、囁いている相手の才能を探すようにする。明かに見えているものに隠されたインスピレーションを見つけるようにする。

ある領域では見えにくいパタンは、ほかの人、リーダーにははっきり見えるのである。それは、隠れた才能の真実を引き出す能力である。

それには、リーダーとしてのあなたの経歴を尺度として使う、そして彼らがどのようにして、いかに達成してきたかのを聞くようにする。そして積極的な聞くと言うアートをマスターしようとする私たちの能力なのである。

 挫折から回復する能力

 

 

最後に志願者の何よりも重要な一つの特徴をあきらかにする事を聞くのである。

それは志願者の挫折から回復してきた経験を聞くことである。その能力が、期待を超えるような人の違いを作るのである。他人の見えない徳に注意して、最善の志願者がもっと成長するように励ます。達成者の拠点を作ろうとするのが、リーダーの仕事なのである。

6、まとめ

数年の間に私たちのためにしようとするのは何ですか?

経験よりも、志願者の性格とその動機に集中する

相手の才能を探す

 

挫折を乗り越えた経験を聞き出す

いかに達成してきたかのを聞く

積極的に聞くと言うアートをマスターしようとする私たちの能力

進路指導2(611)


5、頭脳を使う仕事をして、影響を与える

今日、自分が影響力を受けることなしに街を歩くことは不可能である。道路には人がいなくても、合図、警告、販売の宣伝、意見などが、わたしたちの視野のあらゆる角度から入ってくる。その影響力は、我々が一人でない事実であって、これは誕生の時から始まっている。

 

自分でしか到達できないゴールに向かって進みたいなら、人はゴールとそれに至る進歩のプロセスに注意を払っていく。しかし、もしも、そのゴールの設定が合理的にできでいないならば、われわれは、やる気をなくしていく。

ゴールがあまりに簡単であるなら、楽に苦労なく進むようになる。そのゴールに至るために進歩に一致した行動をしなくなる。そして、その結果は、なにも起こらない。自分が変化しなくなるのである。このような、日常生活で焦点が欠けている人は、人は信頼をなくしていく。

その原因としては、自分で能力を開発するための自己管理でできていない理由と深くつながっている。言い換えれば、人は、自分で学び、成長する力を持っていることを信ずることにある。

そうならないためには、あなた自身が設定したゴールの方向に向かって進んでいることをフィードバックしているようにすることである。このようにして、自分の進歩をモニターする習慣を身につけるようにして、自分を訓練することである。

 

(1)進歩をモニターして、自己管理する

 

はっきりした言葉でもって、自分が成長していくための問題を定義していく。明晰な考え方と言葉によって、影響を与える人になる事ができるようになる。影響を与える人とは、新経営の教科書で述べたトップの5%の人になろうとする目標を持つ人になる試みである。

そのためには、付け加えるべきあなたにとっての経営資源は何なのかをあきらかにしていく。しかし、一人だけで進むことは困難であるし、またそうするも必要がない。

わたしの経営資源に何を追加していくのか?を考える。例えば、コーチを求めていく。それを上手にしていくためには、他の人を観察するようにしていく。影響を与える人は、目と心をその目標に到達することを助けてくれるためのツールと情報に目を開けていく人である。

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(2)どこででも自分をフィードバックするものを探す

 

もっと巧みに調整できていれば、そのコースにとどまる、そしてうまくいかないものは捨てて行き、うまくいくものは続ける。フィードバックしていく。それは神経細胞やニューロンの働きや、ナマズのような動きかもしれない。

なぜなら、自分の体の半分は筋肉でできている。生物は次の世代に引き継いでいくことによって、永遠に生き続けるのである。その時、私は私でなく、その時生命は永遠に生きていく、というビジョンがわかってくる。

(3) 小さくスタートする

 

それゆえ、学んだ新しいアイデアを自分の頭脳に編入していくようにしてする。成長していく。このプロセスは、成長の結果のいくつかをいつものノートに書き加えていく習慣を作るのである。このように忘れ得ぬ進路指導のアイデアも、小さなノートに書き止めていた結果であるの。頭脳やまたはニューロンを使い、新しい経路を広げていくのである。

 

(4) 研究所のように自分の人生を扱う

 

だから、自分の人生を、研究室の中の研究材料のように客観的に取り扱っていく。

そして、あなたは新しいアプローチと実験を自分で試みていて、新しい価値体系を加えていくことを経験しているのである。

それゆえ、私の失敗はOKである。失敗も、次の世代への引き継ぐ研究材料の記録であり、小さなノートである。失敗の意味は、一つの方法が働かなかっただけを意味する。

それはほかの方法を探すようにと、わたしに働きかける。いつも影響を与える人は、ギブアップしないで、ほかの角度を探す人である。生物学の知識は、新しい手法を教えてくれるのである。

 

(5) 懐疑的であること

 

 批判的な考え方は過小評価されている。批判的であることは、同意に生産的になることである。集団的な空気が支配している日本社会では、特に懐疑的あることが必要である。

そのためには、いつも仮説を作り、その証拠の有効性をテストしていく習慣をつくるようにする。研究所のように自分を扱うようにする。

(6) 関係する周辺情報を分類する

 

りストを作って2回チェックしたあと後で、

あらゆる方向に影響力を与えようとする試みは、だから技能以上のリーダーシップの延長なのである。それはライフスタイルで心の持ち方である。そのためには、あらゆるプロフェッショナルが大きな目的と同様に個人的なそして仕事のゴールを達成するために周辺情報に関心をもち、それを分類していくようにする。周辺情報は、情報の宝庫である。

6、子孫と環境そして歴史を残して、死ぬけども、死なない生命をえる

 

 

自分の体の半分は筋肉でできている。内科の医者との付き合いからでは、それがわからない。

筋肉は、リラックスすることとリラックスする環境の大切さを教えてくれる。次の世代に引き継いで、永遠に生き続けていく生命を教えてくれる。物理学だけや経営ではそれがわからない。

加えて生物学は、次の世代を育てる仕事がわれわれにあることを、教えている。

それは、宗教からでなく、私は私にこだわらないようになっていく。その時生命は永遠に生きていくことが分かるようになっていく。

頭脳ばかりを使う生き方をしていくとある時突然に、エネルギーを人間よりはるかに少なく使い細胞や筋肉で生きていくナマコのような生物が分かるようになる。それは、頭脳で集中した情報処理をしない生物ナマコが教えてくれる。

新経営の教科書でも人を育てることが50%の仕事であることを書いた。同じように生物学からも、次の世代に引き継ぐ仕事をすることにより生命は永遠に生きることが分かる。ラッセルも晩年に世界の若者に未来を託した。それは、頭脳を賢く使ううちに、人は非個人的な世界に入っていくと言うことである。

ナマコの話から、人間は長期のストレスに人間は耐えられないことを書いた。同様に、頭脳のないナマコのように、生命は、集中コントロール機関としての頭脳にたよらずに、人間もコミュニケーションすることもできるのである。

生命には、リラックスすることも大切である。がその大切さを、物理的世界や経営の世界だけに生きていては、わからなくなる。生命は永遠に生きることは、生命学から理解できるようになるのである。

生物学は、未来や若い世代と、どのように人はかかわっていけばよいのかを、教えてくれる。未来に生きることは若い世代に託そうとする我々の仕事である。子孫と環境そして歴史を残して行こうとする試みである。その時に生命は、死ぬけど死なない命をえるようになる。

 

 

進路指導1(611)


1、頭脳を生かすという生き方についての進路指導の話

 

 

私が3年前に病院に入院した。今でもはっきりと覚えているのは、その時入院している多くの人は、学ぶということは学校を卒業して以来忘れている、ということであった。

病院の個室に入って安心して本を読む環境を作るまでは、その環境を手に入れるには、ある程度のお金が必要である、ということでもあった。個室に入る勧めは、入院していた経営者である安田さんに教えてもらった。

病院で一緒に食事しながら、いつもふたりでよく話をしていたもう一人の人がいた。その人の名前は忘れてしまった。その人は、京都で教育委員会の経歴のある人で、彼の名前はもう忘れてしまったが、その人の忘れ得ぬ話は、生徒の進路指導の話であった。

 

「頭のよい人はその頭を使うことができる仕事をすることが大切であり、一方、頭の悪い人であってもその悪い頭でもってしても生活していける仕事を選ぶ事が大切である」という進学指導の話であった。「誰かがこの進学指導をしなければならな」、言う彼の話だった。

 

この話をするのは、両親が頭を使う仕事していれば、子供はそれを見習うようになる。が、両親が頭の悪い人ならば、誰かほかの第三者の人がこの話を子供にしなければ、その子供は、どちらの道を選んだらよいかもわからない。それとも、どちらの道も選ばないで、仕事をしない人間になるかもしれない。

 

この教育委員会の経験のある人の会話は、頭が賢い人間はその頭脳を生かす仕事に従事するようにして、頭が悪い人間にはそれなりに生活できて余分なことにかかわらないという仕事を選ぶ、という、この進路指導の話をわたしは、忘れることができない。

2、社会の誰かが、頭の悪い人に積極的にかかわる時代

 

 

ある人間は、両親や様々な人との出会いから、幼少期に頭脳を使う面白さを発見していく。そしてその能力を生かすために、いつまでも学び、頭を使う仕事に一生従事するようになる。反対に頭の悪い人は、ある人間はそれなりに生活できて余分なことにかかわらない生き方を習得できるようになって、生活力をつける生き方を選ぶことが大切である。

 

そのためには、誰かがこのような進路指導の仕事をしなければならない、ということである。

貧困に陥る多くの人は、余計なことにかかわってしまい、頭脳を使って生産性をあげることができないまま大人になってしまう。それどころか、問題は、そのように頭脳を使わない人は、生活水準が上の人に、激しい憎悪や嫉妬を抱きがちなのである。その資質は子供にも引き継がれる。

 

進路指導をする人は、むしろ親でない人が望ましいのである。このよう人には、日本は、もはや社会が積極的にかかわる時代であり、社会の誰かが積極的にかかわる地域にしていく時代なのである。一方、賢い人は、自分の頭脳を使い、人間の可能性をどこまでも追求する習慣をつけていく。知的好奇心,英知家芸術などへの関心も、いつまでも高まっていく。

 

 

3、みんなと違う、そして自分には何ができるか?

 

 

頭脳を賢く使うことができない人の原因は、むしろ教育にある。それは、「(610)新経営の教科書」で書いた上から5%の人でなく、下から5%の人の問題である。それには、お金学で説明されている「フィンランドを世界1に導いた社会改革」と「教育立国フィンランド流教師ノ育て方」が、日本でもこれから必要なのであり、採用するべきである。

http://okanejuku.blog92.fc2.com/

http://okanejuku.blog92.fc2.com/blog-entry-415.html

 

「フィンランドを世界一に導いた社会改革」から学ぶのは、
(1、)男女の定員数制度、(2)5%の人のケアによって1930年代の三分の一に殺人事件が減ったこと(3)特別の芸術教育を受ける、ことである。
「教育立国フィンランド流教師ノ育て方」からは、
(1)一流の教師、(2)教科書は教師一人一人の採択権(3)みんな違っていてよい、そして自分には何ができるかを問う教育である。

 

日本でも、格差がない社会を求めるのでなく、求めるのはホームレスがいないような自由社会である。自分には何ができるかを問う教育なのである。そして下から5%の人への社会の積極的なかかわりとそのような人達への教育なのである。

 

格差をなくす事を主張する政党は、社会主義の亡霊が住み着いていて、自分で考え自由と繁栄を嫌い、嫉妬を掻き立てる。それでなく人々の共感、文化や芸術、そして教育である。

 

 

4、教育の役割としての、性格を作る教育、知識をえる教育、芸術的感性、共鳴と同情

 

 

さらには、貧困になる人の多くの子供は、適切な進路指導を受ける機会が必要であるが、師とも呼ぶ人を持たない。彼らの両親からも学ぶことはいないし、礼節も学ぶ環境もない。すなわち、育ちが悪いのである。それでは、子供はどうすればよいのだろうか?

 

当然、その子供は国際的なビジネスがどのように動いているかのような海外に関心を持たない。親もその子供も、本当の貧困の原因が分かっていない。そして同じ失敗を親子にわたり繰り返し、社会が悪いと主張する。他人も同情や共鳴しないし、影響を与えない。

 

教育の役割には,人間の性格を作りあげる教育と、知識を科学的、客観的に学ぶ教育がある。さらには、言語によって伝達できない芸術的な感性や思惟と社会や人への同情や共鳴と影響力を与える教育も必要である。このような教育が彼らに必要なことを、教育委員会の人とした進路指導の会話は、忘れ得ぬ記憶となっている。

 

そして頭の悪い人の中には、それなりの生活できない人がいるのである。30歳代、40歳代でもそのような人もいる。愚かな親から切り離して地域の誰かが、もはや日本人も頭の悪い人の教育に積極的に親に代わってかかわる時代である。

 

 

5、わずかに30年なり、その間は謹んで奉公の身と思うべし

 

 

一方頭を使って生きる習慣をマスターするためには、一方次のような商人の家訓を日々読むようにするのである。そこには、歴史に学ぶことと、やがて若い人に託す教育が含まれているのである。

近江商人の家訓」小倉栄一朗著より

 

算法よし他国へ行商するもすべてわがことのみと思わず。その国の一切の人を大切にして、私利をむさぼることなかれ

 

陰徳とは目に見えぬ影の間にてひとのためになるように・・

「日本的に有名な成功者となるには一代限りの成功では及ばない。二代、三代と続けてよき経営者が生まれることが必要であるが、それは初代個人の努力ではどう仕様もないことで、人間の能力の限界を超えているのであるから、絶対者に依存するほかにないのであるが、沿いの具体的方法は世間に陰徳を施すにしくほかはない。」

 

(ご先祖様の手代)

「賓も富みもわが一心にあり、悪心起こらば家を保つことあたわず、家をわが子に譲るまでは、わずかに30年なり、その間は謹んで奉公の身と思うべし」

 

(教育)

「子供抱えたければ、慈愛我が子の如く思い、成長ののち其の者のためになるように教諭して、一人の男にすること主人たる者の役としるべし

商家の主人たるもの、他人の子供を多く抱え使うこと、全く商売の道の指南をいたし、銘銘を男一人に仕上げ渡す師匠と心得べき事」

(つづく)

新「経営の教科書」2、(610)


5、後継者を育てていなければ、その生き方はどんなに頑張っても50点

 

 

「誰かのせいにするのでなく、自分には何ができるのか、すべきか、という順番で考えること。

忙しいという口癖は、優先順位付けができていないサインである。

誰にでもすぐに理解できて、誰にでも簡単にできることをやって、飛躍的に伸びた会社が一社でもありましたか?」

後継者を育てていなければ、その生き方はどんなに頑張っても50点」

 

意識が明晰な間に自分には何かできるか、を問いかけていくことである。それへの問いかけは、ひとつの作品を作り上げようとする芸術家の試みと同じである。それは、自分のコア・コンピテンスを中心にして生きることである。

 

加えて、後継者を育てることは難しい。しかしこのことをしていなければ、人としての仕事を半分しかしていないのである。それゆえに、人を育てていなければ、仕事と人生においての達成してきたことを喜ぶ状態に、経営者はまだ早いのである。

 

自分の遺産を、誰に残そうとするのか?との問いかけがが、人の偉大さを作り上げていくのである。その半分は、後継者や若い世代を育てるための仕事をすることである。人は、いつまでも只食べるためだけに生きて、たべるための仕事で一生を終わる人間をつくってはいけないのである。

 

それは、得意分野と好きなことを中心に生きることである。その行く先には自由の大風が吹いているはずである。そして、ある時期になれば天職の仕事を見つけて、未来のために残す遺産を何にするのかを考える人間になるか、どうかのたいかけが、人を貢献できるようにさせるのである。

 

 

6、経営という言葉の語源は、仏教の言葉で「人を育てる」という意味

 

 

学ぶ心を持ち続けることについて、松下幸之助氏は、「わが社は人を作ります。それから物を作ります。」と言う。経営という言葉の語源は、仏教の言葉で「人を育てる」という意味である。「簡単にカットしてはいけないのは、研究開発費と教育研修費」だからである。

 

学ぶ心を持ちつづけて、研究開発と教育研修に相当する費用を惜しまないで使うことは、いずれの企業にも個人にも、あてはまる。自分の得意分野と好きなことにエネルギーを振り向けるなら、必ず成果は生まれてくることを信じることから始まる。

 

それには、人生の師と呼ぶ人との出会いが、いつまでも同じ状態にとどまることから人間が変化させてくれる。加えてNHKのテレビ番組「神様の女房」における松下幸之助や妻の松下むめの幹部社員への礼儀作法についての教育のように、繁栄のためには礼節を重んじる人を育てることを疎かにしてはいけないのである。

 

礼儀がない人がどのように貧しい生活をしているか、を思い出してみればよい。

株式会社やボランティアやNPOなどの組織のかたちに関係なく、師を持ち、礼節を重んじる人を育て得るかどうかが、が教育の基本になる。このような礼節と知識を重んじる教育が、人を育てるからである。

 

7、難問の対処法が創業者にはある

もう一つ大病を経験することが、経営力を身につけることの関係している。「経営の教科書」の中でも大病が説明されている。経営力は、大病を経験することによっても、学ぶことができるのである。

日本は、中央集権官僚社会で、二世がはびこる世襲の社会である。この国では、すべからく優れた人は外国に出て行き、機会を外国に求めるのがよい。大病をすること難問の対処法に取り組む、と言う2つが、本当の経営者を育てていく。それゆえ、経営の問題の80%は人間の問題であることは、間違いはないのである。

8、学べば老いても衰えず、死んでも朽ちない

 

 

学べば老いても衰えず、死んでも朽ちない人間になる

そして、5%の人は、少なくとも3人のメンターを人は持たねばならない。そして、若い時は傲慢なくらいの自信とそしていつまでも謙虚さも失わない。傲慢に流れがちな気持ちを押しとどめてくれるのは、このような師と呼ばれる人をもつことから生まれてくる。メンターとしては、小倉英一郎著の「近江商人の理念」が教えてくれる。

 

一緒に学べば老いても衰えず、死んでも朽ちない、知識を身に付けた時の歓びが、本当の財産となる。この言葉は、生産的に生きて、生命の大きな樹の流れのもとで永遠の生命を得る生き方にやがてたどり着くことを、教えてくれる。

そうすれば、年とともに、ある人はますます賢くなり、可能性をいつまでも求めて行く生き方をするようになる。そして、ますますチャレンジすることができるようになるのである。そして、

人は、今まで出会ってきて感動を与えてくれた人々の総和である(ゲーテ)

 

他社と同じでないあなたの独自性や優位性は何か?これは企業も人も、かけがいのない自分でしか貢献できないものは何か、に早く気がついたときに、心の貧しい人と違う貢献ができる人となっていく。

 

ゲーテによれば、人は結局、思った通りの自分になる生き物である事を教えている。

わたしにとっても、今まで出会ってきた人々と愛読書の総和が、私を作り上げているのである

 

「いつまでに」という時間設定をするようにする。そして、これがなければ、単なる願望で一生が終わってしまう。それでは人は、生産的に生きることは出来ない。

頭脳がまだ明晰である間に、使える時間の設定をする。その時間設定をすることによって、我々は、瞬間に永遠に生きることができるようになる。

 

運がなければ死んでいたかもしれないという体験が、自分にとってもやるべき仕事があるということを再び自覚するように、導いてくれるのである。

修羅場をくぐって肥やしにせよ、とは、得意分野でもって生きて、好きなことを楽しむ

そして後世の人に引き継ぐ生き方を教えてくれる、ものである。

 

「経営の教科書」は、経営者は何をすべきか、およびリーダーシップについての著作である。5%の人の生き方をすること、修羅場をくぐること、人を育てること、未だ成し遂げていないことなどについてである。これらについて、わたしたちには何が欠けているのかを、この本は教えてくれる。

 

 

新「経営の教科書」1、(610)


新 将命 著、新「経営の教科書」を、全面的に書きなおしました。この本を素材にしているが、わたしがこの本に触発されて書いた、後世に残したい言葉である。だから必ずしも、この本の要約ではない。人が生産的に生きることと、勇気とエネルギーを与える無限大の力を与えてくれる事についてである。

 

1、夢や使命感をもっているならば、人は大きな仕事をすることができるようになる、

 

 

「勝ち残る会社になるために、それはせいぜい3~5パーセントくらいだろう。だから、目指す意味があるし、勝ち残る会社にしたいはずだ。ビジョンを信ずる人は、同時に儲ける人でもある。経営理念づくりとその浸透は、結果として儲けにつながるのである。

 

なぜか。人は大きな事を信じた時に、大きな仕事をする、という生き物である。夢や理想やビジョンという使命感があると、人は4倍大きな仕事をする。

*「」で特別に表示がないのは「経営の教科書」より

 

ランチェスターの法則のように、5%から7%の人や企業にしか、アメリカにおいて日本においてもいつの時代でも、勝ち残ることができることができないのが冷厳な現実である。手取りで年間1000万円以上の所得を得る人も、社会の7%程度の人である。

 

反対に、誰も平等を優先する学校においては、この確率と現実の社会を教えてくれない。そして人には相当の収入がなければ、只生きるためにだけ一生を使ってしまうのである。さらには、相当の収入を長年にわたり得ている人でなければは、影響を与える人とならないのである。

 

 

 

2、悪平等な組織と強要する組織

 

 

貢献することもなくただ生きるためだけであったなら、犬猫でもできる、と言う酒井三郎さんの言葉がある。同じように理想、ビジョン、使命感がないような、そして信賞必罰が希薄な組織にいると、弛緩ムードが人を染めていく。

 

それは一見よい組織に見えるのが、公務員、協同組合、NPO組織などの組織や学校である。その組織では、この弛緩ムードが漂っていることが多い。なぜならそこには、信賞必罰と継続的な改善が組織で行われていないからである。同時に、人を管理するとか、強要するような組織が、日本的組織には昔からそして今も存在する。

 

このような2つのタイプの組織の下で人は、人は挑戦のための自由と勇気ある行動ができないようになっていく。だから人が成長する機会が組織には必要であって、弛緩した組織でも、強要するも組織でもいけない。また20年、30年と同じ組織に所属していると、人は確実に社会の流れが、見えなくなっていく。

 

悪平等ムードがはびこる組織の経営者や、人に強要を強いる組織の経営者は、一見人にやさしい人に見えるのである。そのような組織は、維新の会が、相対評価を導入しようとしている学校教師の組織と同じである。この2つに共通する組織では、起業家を生みだすことはできにくい。

 

このような組織の中に長くいると、人は確実に無能化していく。自分で考えようとしなくなる。その反対は、自分で考える人を育てる、使命感を持つ人を育てる、人によき影響を与える人を作るのである。

 

損得で一生生きていく人は、なかなか見えないものがある。なぜなら、そのような組織では、人を育てることができないからである。ゴールを持ち、小さな改善と小さな成功体験を重ねていく中で、人はいつまでも成長していくのである。不断の努力と少しずつの進歩を求める人は、チャレンジする人となっていく。近江商人の家訓を深く読み、人を育てるのである。

 

 

 

 

3、悲しみや困難が、人の心を宝石のように輝かせる

 

大病の経験や挫折を体験したあとで、人にはようやくわかることがある。そして大病をしなければ、人には死ぬまでわからないことがある。それには、本当の友人や仲間が誰であるかが、一生わからないままに、生きていくという事実である。

 

しかし私は誰が本当の友であることを知らないままに一生を終りたくはない。生と死の狭間を通り抜けて、後世や若い人に残していきたいものである。未来を信じて努力し、投資をする人は、選択の自由をかみしめて、繁栄を実現させることができる。

 

大病や挫折などの不幸の中でこそ、人は友情、努力そして幸福、繁栄を感じることができるようになる。もしもしこれら本当の友情と信頼を知る人と、一生損得で生きていく人との違いがどれだけ、人の偉大さと貧しさに生きる人との大きな違いを作り上げていくかである。

 

悲しみ、切なさ、苦しさは、人の違いを作り上げていく。だから危機こそ平常であるし、平常こそ危機である。生と死の狭間の記憶は、話したくない。損得で生きる人は、人がどれだけ困難な時の人を見て、優位に立ったと思う人である。

 

疲れている人に、勇気と無限のエネルギーを与えあい、励ましあっていきたい。復活のためには、困難に打ちひしがれる人に、エネルギーを心身に与えたい。未来に続く道には困難が伴う。が、またヨブ記のように、またソフォクレスのオイディプスように、試練は、人間に生きる知恵を授けてくれる。

 

 

4、修羅場をくぐって肥やしにせよ

 

 

「修羅場をくぐって肥やしにせよ

大局観を身につける方法は、修羅場をくぐることである。逆境を経験して乗り越えていけば、人は大きく育つということである。

 

経営学は本から学ぶことが出来るが、経営力はやってみなければ身に付かない。

誰にでもすぐに理解できて、簡単に実行できることをして簡単に伸びた会社が一社でもありましたか?」

 

修羅場をくぐることによってそれを肥やしにせよ、は、逆境を乗り越える事ができるなら、人間として成長できるということである。経営力は、自分でやってみなければ、身に付くものではないからである。自分でやってみなければわからないのは、筋肉を鍛えることハ、自分でしなければならないことと、よく似ている。

 

人間には、修羅場をくぐったがゆえにつぶれる人と、苦労した体験を自分の肥やしにして伸びる2種類の人間がいる。経営者になろうとする人は,間違いなく後者でなければならないということである。

 

大病を体験すること、生と死の狭間を見ることであって、それは誠に得難いものでもある。困難は、宝石のように人を輝かせるものである。

そして修羅場を体験することは、未来を見る人を作り上げる。そして人間としての成長のためには、社会への洞察力の養うためには、大病がが大いに役に立つものである。人間の本当の姿を見るには、大病が役に立つ。学んだことを後世に伝えたいものである。

(つづく)