お彼岸の日(628)


狐狸庵生徒
自分の自助努力で持って作り出す才能と共に、
神が与えてくれた才能へのコンタクトすることは、
なくてはならない。
天職を英語でvocationとかcallingと言います。
また英和辞典を丹念に調べると、共に「神に召された」
という意味もあります。ニュアンス的には自ら
必死に努力すると言うよりも、「あちら側の世界」や
「自分の内なる声」のメッセージに従って
行う行為が関係しています。

天職と呼べるような仕事に邁進している人は
第三者から見れば必死に頑張っているかのように
映るときがありますが、本人からすれば、
「自分の内なる何者か」に突き動かされているので
必死に努力している自覚が少ないようです。

ストレスも少ないため、
「→頑張る→利益→さらに頑張る→さらなる利益→」
の好循環が起きれば、結果としてとてつもなく大きな仕事を
成し遂げる可能性が高くなります。

一方、芸術家などに多いケースと思いますが「あちら側の世界」
にどっぷりつかっているために、「こちら側の世界」
のことに疎くなり、一般的な社会生活が、極端な場合は、
破綻していることもあるようです。

成功するためには「あちら側の世界」からのメッセージに
耳を傾けると共に「こちら側の世界」についてもしっかり
考えるという、時には、相矛盾する事象とうまく折り合い
をつける能力も求められるようです。

1、思い半ばで逝ってしまった死者を敬う秋分の日

 

秋分の日は、祖先を敬い、亡くなった人々を敬い、しのぶ日である。古来、仏教上のお祭りの日である。日中は30度以上の暑さであるが、空の気配は、すっかり秋の気配であり、秋分の日が近づいている。思い半ばで逝ってしまった死者を敬う、秋分の日がもうすぐだ。

お彼岸の日に、死者となった両親や、育ててもらった二人、叔母のお花さんや従妹であつた明子さんなどの、今は祖先となってしまった人達を敬い、感謝をする。それらの人々は、思い出してあげれば、わたしの心の中にいつまでも、いつまでも生きている。そして、それらの人は、わたしの性格の一部となっている。

 

2、神が与えてくれた才能

 

わたしたちは、2種類の才能をもっている。ひとつは、その人間が作り出した才能である。もうひとつの才能は、神が与えてくれた才能であって、これら2つの才能である。神が与えてくれた才能に、人は、ある時にはコンタクトすることができるようになる。

もしその神が与えてくれた才能にコンタクトできる時に、死者が託したメッセージを読めるようになる。その時、人が作り出した才能に応じで、悔いがないようにと生ききる人となることだろう。悔好きなことをすればよい、のである。

 

だから本当の成功は、お金を儲けることが目的でなく、神が与えてくれた才能にコンタクトすることでなくてはならない。その時に、好きなことや先見力が見えるようなる。 神が与えてくれた才能でもってして仕事をしていくと、後から報酬はついてくるようになる。神が与えてくれた才能にコンタクトしていくならば、好きなことを、もっとよくできるようになる自分に、気がつくはずである。

 

自分の自助努力で持って作り出す才能と共に、神が与えてくれた才能へのコンタクトすることは、なくてはならない。秋分の日に、死者となった人達を敬う祈りが、神が与えてくれた才能へのコンタクトに導いてくれるだろう。

 

自分を育ててくれた今は亡き人を敬い、感謝するならば、2つの才能にコンタクトして、才能と人生の道を、見つけられるようになるだろう。死者は、自然は草が伸びて、果物が熟し、空を飛ぶ鳥のように、われわれを導いてくれる。このような意識になったのは、最近である

 

自然は偉大なる癒しを与えてくれるだけではない。モーツアルトのアイネクライネナハトムジ―クのような美しい音楽は、高貴な心を与えてくれる。育ててくれた死者は、守護霊となって何時までもその人の中で生きていく。

 

一方、誰とでも代替できる仕事をしていては、神が与えてくれた才能を使って生きていくことにはならない。そのような仕事をしている限り、そして結局はお金を得ることが目的になっている仕事をしていることと同じになる。

 

二つの才能で持って仕事をしていないと、仕事をもっと楽しんでいることにならないし、成果をもっとあげることができない。

神が与えてくれた才能とコンタクトすることによって、生命を完全に生き切ることである。そして誰かと代替できるような一生を終ってしまわない。

 

思い半ばで逝ってしまった死者やお世話になった死者や祖先たちの思いが、わたし達を導き、助けてくれる。天は自ら助ける者を助けると同時に、神が与えてくれた才能にどのようにコネクトするか、が、幸福に生きることとなるだろう。

 

秋分の日に、育ててもらった死者に感謝をして、思い出す。思い出してあげれば、その人達は、いつまでも生きている。思い半ばで逝ってしまった死者が、生命と言う大きな川の流れとなって、わたしたちを導いてくれている。

 

 

3、五井昌久著「信仰と直感」より、

自分だけの力ではできないことを、ほかからしてもらっている、という他人や祖先や自然に対する交流ができる人なので、神仏との一体感になっている

人間の真実の姿は、神の分け命であって、常に祖先の悟った霊である守護霊と守護神(大天使)によって守られているものである。

私どもは人類が、地球に生まれたことを、人類最初の誕生と思っておりませんで、人類は地球に生まれる以前に、様々な星の世界に生まれて、それぞれの文明文化を先に開いてきたものであると思っています。」

Leave a Reply