Archive for 11月, 2012

好きなことに、バカになる1(635)


競争が厳しい世界に生きている時に、自由な議論ができる時に、人は人に触発
されるのである。反対に、このような厳しい世界と自由な議論ができる環境がないことと、人は人によって触発されない
ことがないと、最悪の環境となる。

以前、米国・東海岸のある大学の研究室を訪問して感じたのは、競争は非常に厳
しいが、自由に議論ができる雰囲気に満ちてい
る、ということでした。研究室に入りたての学生でも、論理的に説明できれば、
教授もすぐに納得して新しいアイデアを
認めることがよくあったとのことです。優れた業績を出している研究開発型の組
織で指導的な立場にある人に共通する特徴として
人の話を良く聞く、ということが挙げられます。相手の言うことを否定する場合
も、なぜ否定するかをかを論理的に説明し、
相手の人格まで否定することはありません。代案や軌道修正についても具体的に
方向性を示します。

競争が厳しく、自由に議論できる雰囲気が無く、相手の人格を攻撃する上司が多
い職場は、いわゆる「ブラック企業」と
しての素地があります。

狐狸庵生徒

1、オーディオ、インシュレ―ターの実験から

東京工業大学応用セラミックス研究所教授の細野秀雄さんが、ブレイクスルーするような材料科学の発想法について、NHKの講演、「元素戦略、未来を創る材料」で、語っておられる。

以下の発想法は、材料科学の意味だけであることならず、どの分野においても新しいアイデアを創りだすのに役に立つと思う。その時の講演を聞いて、わたしのメモからまとめたものである。

材料科学の話の前には、わたしのオーディオの40年にわたる趣味を少し説明しておかねばならない。最初のころは、レコードのカートリッジを多く集めて、その微妙な音質の違いを確かめていた。

その後いまから5年くらい前までは、さまざまなオーディオインシュレ―ターや、ケーブルや電源の、その材料による音の違いを試みていた。部屋を見渡しただけでも、インシュレ―ターとして現在も使っている素材としては、素材としての様々な金属、合金、桜の木、特殊なゴムの吸音材、プラスチックなどの素材がある。

どの素材によっても、音は変わるのである。それに加えて,タイムドメイン方式によってもスピーカーも、音は大きく変わるのである。この素材によって音が変わる実験の経験から、材料科学についての発想法に関心があった。

2、    人は、人によって触発される。

 

一人のブレイクスルーするアイデアは、次々とそのあとに続くイノベーションをしようとする人を触発していくのである。だから、触発する人は、福の神となる人かもしれない。

その関係には、もはや先輩、後輩などの意識はない。

そのような上下の意識がないから、自由な議論ができるようになるのである。

競争が厳しい世界に生きている時に、自由な議論ができる時に、人は人に触発されるのである。反対に、このような厳しい世界と自由な議論ができる環境がないことと、人は人によって触発されないことがないと、最悪の環境となる。

3、面白いものは辺境にある

ある従来からの伝統的なイメージを壊すことも大切になってくる。数年もすれば、次第に染みついたイメージをもつように、わたし達はなっていく。だから、いつも、その伝統的なイメージを崩していくことが、とっても大切なのである。

そして、材料の面白いものは、何時も辺境から生まれている。面白いものは、材料だけではない。反対に,わたし達は本流になってしまうならば、面白いことから遠ざかってしまう。そして、新しいものは、いつも辺境から生まれることを、わたしは、本流でないから、辺境からの新しい動きが見えてくる。

それは、例えば、アジアの動きは、中国でないアジアから生まれるように。

人は、意識していないと他の分野のことがわからなくなっていくものである。理系や人文科学と区別していると、自分にとっての辺境が見えなくなっていく。

わくわくする仕事や研究と世の中に役に立つことは,両立するのである。わくわくする仕事の意味については、「好きなことにバカになる」について、書かれているので,以下は、この本の要約である。

4、好きなことをやるのが結局、一番うまくいく

世の中がどう動こうと、自分の生活がどうなろうと、好きなことをやるのが結局、一番うまくいくということです。失敗は動くときかならず生ずる摩擦のようなものです。行動にミスやつまずきはつきもので、動かなければ失敗もないが、それではどこへも行けません。

失敗するから、どこが悪かったのがわかってくるし、もっといい方法があるはずだと考えるようなるのです。失敗しなかったなら軌道修正もできません。わたし達の研究も日々失敗だらけで、その失敗の堆積の上にやっと一つの成果が花開きます。

つまり失敗の回避が成功でなくて、失敗が通過したものが成功なのです。失敗が怖いのは、成功と失敗を対立物としてとらえ、成功しなければ収穫物はゼロと考えるからでしょう。

しかし人生はオールオアナッシングではありません。オールオアサムシングです。やってみれば、必ず何か得るものがあります。失敗から得るものずいぶんあるし、失敗からしか得られないものもたくさんあるのです。

だからあんまり先のことを、あれこれ心配せずに、目の前の好きなこと、やりたいことになりふりかまわずに、打ち込んでみよ。そうすれば、おのずと道は開かれる、と楽天的に考えています。

5、人生に嫌いなことをしているヒマはない

まず自分の好きなこと、やりたいこと、得意なことをして、それに打ち込むこと。それが一番大事であり、その先に夢が見えてくるものです。

 だからこそ本当に、嫌いなことをしているヒマなどないのです。我々一般人は好きなことを、一生懸命にやって、それで始めて人より少しだけひいでることができるのです。

好きなものなら面白いし、面白いならば集中できる。集中すれば本気になるし、本気になればおのずと力もついてくる。だからまず、好きなことを大切にすること。やりたいことを後回しにしないことです。

人生は一度きり、しかも短いのです。嫌いなことに時間を費やしているヒマはありません。好きなことをとことん究める、・・そのプロセスに楽しみ、うれしいことも悲しさも、織り込んでいくのが人生というものであり

(続く)

中国、韓国が死んでも教えない近現代史2(634)


4、韓国

韓国人にとって、強い者の威風の下について、生き延びてきた長い歴史があるから、中華帝国の主催者になるのでなく、高官としてとりたててもらえればよい。韓国人は,有史以来、ずっと属国、あるいは小中華に甘んじていたのが、史実である。

現代韓国知識人の歴史捏造、歪曲こそ、歴史を直視する勇気の欠如と日韓誤解の元凶だろう。韓国人学者によく見られるように、自分たちの歴史観と相いれない発言を妄言と封じ込める独断偏狭と倒錯史観こそ、日韓反目の根本原因だ。

そもそも中国、韓国とも、歴史そのものが政治であると言える。史実より史観が先行しているのだ。歴史とはあくまで現王朝の正当性を主張するためのもので、政治的都合によって現在を美化し、過去を批判するのが歴史記述の方法となっている。

半島は王朝、時代が変わるたびに、前代の文化を徹底的に破壊しつくしていた。儒教倫理の強い影響を受けている韓国人学者は、今でも相変わらず、歴史を倫理、勧善懲悪でしか語らない。

半島の歴史は常に陸からも海からも動かされ、他国と連動しながら他律的に動かされてきた。なぜ中国人は南京大虐殺をでっち上げたのか?それは反日運動を愛国運動のてことして、民力を結集させるためだ。

つまり大虐殺は、中国の伝統文化として常識になっており、日本軍の極悪非道ぶりを宣伝するためには、それ以上に説得力のあるものはなかったのだ。

同様に、韓国人が非難する強制連行も従軍慰安婦も、半島を含む東アジア大陸の伝統文化であり、韓国人の反日,克日感情をてことして、民力を結集させやすいと言う理由から、でっちあげられたのだろう。

従軍慰安史は、韓国の文化風俗史の自画像である。自国の過去と現在の問題は直視、反省もできないくせに、外国の過去ばかりを追求すると言う態度は、すべて偽善いにすぎない。

韓国には、宮廷慰安婦問題だけでなく、ベトナム派兵における韓国人経営の韓国慰安婦、国家管理売春問題もあるが、それを直視する勇気がないため、あるいはその批判をそらすために、日本の過去に対する追及にこだわるのだろう。

5、台湾

 

 

台湾原住民は、総人口の77,4%、漢人との混血は、16,8%、計94,2%が原住民かその混血で、大陸からの移民は5,8%である。遺伝子から見れば、台湾人はタイやベトナムのブイ族と同系である。

台湾が中国との統一を拒否しているのは、台湾人が中国人意識や中国人としてのアイデンテティをもっていないからだ。人種、民族、生態学的見地から見れば、マレーポリネシア系民族生活圏の最北の島と考えられる。

振興日本の政治指導者たちは、日本人の誇りとして、台湾経営に夢を抱いていた。近代的実学教育は、日本時代の国民学校、医学校、実業学校からである。

中国文明の特質とは、国富の一極集中、中央と辺境との永遠なる疎外、文明と野蛮の同居である。全ての中国辺境は、永遠なる辺境と貧困を強いられている。それが中華文明の永遠なる課題だろう。

台湾は日本文明圏に編入されたことで、新たな変身を運命づけられた。中華文明と比べれば、日本文明は辺境が存在しないことがその一つの特色であった。

6、再びの大東亜共栄圏

 

 

もたざる小国、日本は米英と違い、大東亜の共存共栄以外には、生きる道を見いだせなかった。軍閥や軍部の暴走ばかり非難されるべきでない。

 戦後日本人が行った運動の中で、最も滑稽で風変わりなのは、平和運動ではないだろうか?

戦後半世紀以上、日本には内戦も対外戦争もなかった。日本の平和主義者の狙いが、日米安保の解消や軍備増強阻止にあることは見え見えだ。少なくとも中国の対外平和工作者の任務はそこにある。

現在の日本社会は、滑稽な平和主義者が多すぎるために悪人が蝶稜氏、社会の安定が保てずに、生命財産も守れなくなり、亡国の兆しを見せているのではないだろうか?

中国の経済は、ほとんど日米を中心とする資本と技術の移転による他力本願の経済成長である。

一方、大党話共栄圏には大いに実現の可能性がある。なぜならそれは、大中華と言う自己中心的、自国中心的中華思想から来るものでなく、共存共栄と言う非中華的な思想から来るからだ。

大東亜戦争中の大東亜共栄圏が失敗したのは、単に軍事的、政治的な原因だけではない。未熟だったのである。

韓国人が日本の歴史にまで口を出すのは、もってのほかだ。韓国は中華帝国の千年属国で、歴史が長いだけであり、東アジア史を左右下、つまり歴史の主役になったことは一度もなく、自立性が欠けている社会で、歴史認識をうんぬんする立場にないからだ。

7、マスコミの見る中国と韓国

 

 

このような歴史を視る人は、共産党幹部の子供の多くが、アメリカに留学している。新しく始まった習体制の中国共産党は、腐敗との戦いの言葉から始まった。しかし共産党と底と密接に関係している支配者の人達とそうでない被支配者人達の格差は広がっている。

中国での支配階級と被支配階級の乖離が、都市部でますます起こり得る可能性があることから、中華帝国が崩壊過程にあることも考えられる。共産党の独裁の継続と格差是正は、自己矛盾である。

また同時に、同じ構造の韓国の経済成長も今後は、終わることも予測できる。しかしこのような歴史を学んでいないマスコミや、証券会社は、あいかわらず、これからも中国の再度の成長を掻き立てている。

狐狸庵生徒 感想

前回、中国へ出張したときのことに触れましたがそのときに感じた
中国の印象を一言で言えば
unorganized(組織化されない)でした。
短期間の出張者としての感想ではありますが、
「この国に民主主義を持ち込んでも機能しない」
「先進国一般で行われている選挙で政治家を選ぶシステムを導入しても
、国内は混乱して、三国志のような状況になる」
「この国を統治するためには強大な権力を持つ皇帝のような存在が必要」
「unorganizedだからこそ孔子のような人物が現れたのか?」
のようなことを考えたものでした。

一見、organizeされたかのような反日デモでしたが、日本関連商品のボイコットを
叫んでおきながら、日系スーパーから商品を略奪しているニュースを見聞きすると
やはりあの国はunorganizedだなとの思いを深めた次第です。

韓国へ行ったことはありませんが、韓国からの出張者と一緒に仕事をしたことが
数回あります。そのとき「韓国では大統領の任期が終わりに近づくと、
様々なスキャンダルが報道され、任期終了後に前大統領は逮捕・投獄されることが
多々ある。日本の政治は安定している。」とのコメントを聞いたことがあります。

以上のような国々では、国内での求心力を維持するために、
外部に敵を作って非難し続けることがよくあります。とくに韓国大統領の
反日プロパガンダは、韓国内での反対勢力から自分の身を守るために
「死にもの狂い」で行っている事情がありそうです。

過去に似たような事例を挙げると数多くが指摘できますが、
第二次大戦中、日本では「鬼畜米英」、ドイツでは「ユダヤ人排斥」が
国是となっていました。

国際政治の世界では、中国や韓国が採るような対応はよくあるパターンです。
実際に戦闘が発生したインド-中国、ロシア(旧ソビエト)-中国の国境紛争などが
参考事例になるでしょう。

このような国々に対しては、繰り返しますが、evidence(エビデンス)の蓄積に基
づいた
冷徹な対応が必要と思われます。

中国、韓国が死んでも教えない近現代史1(634)


15年以上前になりますが、出張で中国の北京へ行ったことがあります。
1週間と短い滞在でしたが、台湾からの訪問者(観光、ビジネス)が多いのには
驚きました。当時、表向きのプロパガンダでは中国と台湾は激しく対立していま
したが、
ビジネスや観光での交流は第3国経由で可能になっていると聞いていました。
しかし、日本や中国で、台湾からの訪問者たちと会い、「香港経由で簡単に中国
には入国できる」
「観光やビジネスで頻繁に中国を訪問している」と聞いてさらに驚きました。

外交交渉とは、「テーブルの上ではにこやかに握手を交わし、
テープルの下では足蹴りをしている」との揶揄を聞いたことがありますが。
中国の場合「テーブルの上では激しく怒鳴りあい、テープルの下では適当に握手
を交わしている」
ような揶揄があてはまりそうです。

プロパガンダと実務世界の乖離について、外交関係者や、中国とつながりの深い
企業担当者は
よく知っているのでしょうが、日本のマスコミが思いつきで感情をあおり立てる
ような
報道を垂れ流さないことを願っているところです。

現在の、中国や韓国の対外的な対応は19~20世紀のヨーロッパ列強諸国がとった
帝国主義政策と似ています。21世紀の現在、このような国々とは、
evidence(エビデンス、証拠)に基づいた冷徹な姿勢で対峙することが日本の国益
を守るために重要かも知れません。
グローバルにもエビデンスに基づいた情報を発信し続けることが、国際世論を味
方につけるうえで重要です。
弱腰な態度や感情的な反応は相手の思う壺です。

エビデンスを蓄積するためにには近・現代史の研究を深化させることが必要です。

11月12日 狐狸庵生徒

1、未来を見ることができる人は、正しい歴史をみる

三重県四日市市の伊藤製作所の伊藤澄夫麻社長が、中国でなく、フィリピンに工場をつくり、韓国の工場見学を拒む。一方、

平和堂の中国での反日暴動の後で、中国での店舗を再開した。どちらの経営者に、先見力があるのだろうか?  投資家として、わたしは、伊藤社長の言動を支持する。

チャイナリスクをどう判断するかについての先見力が、これから要求される。そのために、台湾を東南アジア諸国の一例として、また反対に中国と韓国の現代史と日本の現代史の理解が、経営者や投資家にとっての先見力が、改めて必要とされる時代である。

わたし達は、今チャイナリスクに直面している。そのためには、中国、韓国、台湾、そして日本の近代史、さらには、アラビアまで含めたアジア史を見ることなくしては、未来への洞察力は養われない時代にいる。

そのために以下は、黄文雄著の「中国、韓国が死んでも教えない近現代史」の要約である。この二人の経営者の先見力は、いずれ、どちらが正しのかが、これから明らかになっていく。そのための中国、韓国、台湾そして日本の近現代史が、ここに述べられている。

戦後の日本は、教育もマスコミも、「反日日本人」に牛耳られ、「東京裁判史観」「コミンテルン史観」「自虐史観」による反国家、反伝統の教育が主流であった。そこに付け込まれたのである。

そこには、大東亜戦争につづく、日本のふたつの敗北があったのである。

つまり中韓にとっての歴史問題とは、史実かどうかと言うよりも国家戦略の問題であり、対日外交に対する切り札にすぎなかったということだ。

2、貶められた大日本帝国

 

 

19世紀中葉ころまで、日本だけでなく、清国、韓国も含めて、東アジア大陸全域は、鎖国の時代であった。そのような歴史の潮流を透徹に洞察し、徹底的に対応したのは、幕末の開国維新の志士たちであった。

日本が開国維新に成功し,そして日清、日露戦争に勝ち、列強の一員となったことが日本の歴史を変え、ひいては、アジア、世界の運命を変えた。

 明治維新は、文明史的には,アジアで初めて近代国民国家が生まれたのだ。

江戸時代は300年近くの平和が続き、戦後も半世紀以上の平和である。それに比べて、中国は有史以来、ほとんど戦争のない年はなかった。

では、なぜ日本は過去の一時期に、これほど多くの戦争をしたのだろうか?

列強時代、戦争の時代には、いかなる理由があろうとも戦争は避けられない。列強の時代は、実際の国際問題は、すべて力によって処理されたのが政治、外交の現実である。日本人とは違い、中国人にとっての反省や謝罪は、真実がどうであろうとも、決まり文句で相手に有無を言わせ縫う知に断罪し、自己批判させることにある。

3、正しい歴史認識

中国、中華帝国こそ、人類史上最大の侵略国家である。

いかなる巨大な中華王朝も、100年や150年という年月で繁栄を立てたものはめったになかった。

では中国の内戦はなぜ終わらないのだろうか?戦争そのものが伝統文化となって、・・言語不通による各地方の文化摩擦、・・人口過剰による資源戦争・・社会安定を保つのが難しい・根強い地縁的、血統的意識から来る派閥闘争・・

戦後日本が侵略者と非難されるのは、唯戦争に負けただけであった。歴史とは強者,勝者から作られたものだと言うことを知らなくてはならない。

 日露戦争後、日本が最大の攘夷の対象となった。中国の反日意識の根源は、伝統的攘夷思想にあり、ことに中華の優位性が脅かされればされるほど、反日意識が高まる。

中国の社会構造は、あらゆる権利をもつ官僚支配者とあらゆる義務を負わせた被支配者(民衆)によって構成される。

マルクスレーニン主義、毛沢東思想への信仰と信頼は、すっかり色あせた。そこでこれからも、全体主義体制を維持するためには、また愛国主義、大中華主義を育てていくには、過去の歴史認識が必要なのだ。民衆の恨みを外に向けなければならない。

現政権の日本への優位を保つには、日本の過去に対する反省と謝罪の継続化と永久化を行う必要がある。

日本の過去に対する譴責は、現在中国が犯している侵略行為、そして犯そうとしている侵略のもくろみをかわすための行為であることは明らかである。問題なのは、日本人のマゾヒズム的性質デアル。ことに進歩的知識人であればある程、自虐的だ。

そこが、中国の尊大と蝶稜を助長する原因なのである。

(続く)

 

一人の外国人で変わる(633)


chemistryという英単語が「化学」を意味することはよく知られています。
しかし辞書をよく見ると「人との相性」という意味があることにも
気づきます。人と人との出会いを通じて、あたかも化学反応のような
質的な転換・発展があるかのような意味合いです。

また化学物質の中には触媒(catalyst)と呼ばれている
一連の物質があり、極めて僅かな量で化学反応のスピードを
何千倍、何万倍にも促進することが知られいてます。

catalystの意味を辞書で調べると、「触媒」の他に「きっかけ」や「きっかけに
なる人」
の意味もあることも分かります。

一人の外国人との建設的な交友が、その人の人生に大きな影響を与えたことは
様々な伝記にも描かれています。あたかもその外国人は"触媒"の様に、人と人
との間で生起する"化学反応"を促進するかのようです。

一人の外国人と親しくなると、意識的には、その国の様々な事象について
調べてみようという積極的な気持ちが生まれてくることがよくあります。

やや無意識的には、自国の文化を相対化しようとする傾向が生じるかもしれません。
自国の文化の相対化は、自国文化についてさらに知見を深めようとする
動機を背後から駆動する原動力になるでしよう。

11月6日 狐狸庵生徒
英語の勉強で、大学や専門学校に行くことも役に立ちますが、一人の何でも英語でコミュニケートできる外国人の友人をもつことは,それ以上の影響を与     えます。
     
そのような楽しい関係をもつならば、中華的思想になることもなく、文化を相対的に捉えるようになります。
そのためには、どちらの人も、学び続ける生活をしている人である必要があります。
     
 そして、人生で大きな転換点の時に、どちらもが、その人を励ます人となる時に、その関係がより深まっていきます。
一人の外国人の友人によって変わり、

自国の文化を相対的に捉える傾向と自国と相手の国の文化により興味を持つようになります。
このような体験を、若い世代に持ってもらいたものです。

11月6日 藤田 悦史

1、一人の外国人で変わる

NHKの10月20日(土)の番組「国際人がニッポンを救う」と言う番組で、一人の外国人で変わる、という言葉を誰かが話していた。国際人になるためには、語学の専門大学に行くことでもない。外国の文化を知ることでもない。外国の専門知識を持つことでもない。

国際人になることは、たった一人の外国人の友人をもつことから始まるのである。その外国人の友人から、その国の文化も、芸術も詩人も、その人から、紹介してもらうことができるのである。

外国人とのコミュニケーションしようとすることを10年間も続けていけば、英語で必死に表現しようとすることになっていく。そのうちに国際人になるマインドが自然に身についていくのである。

英語も何時も使うようになっていく。海外への投資も、競争意識も、身についていくのである。一人の外国人によって変わるのである。だから、英語の学校に行くことよりも大切なのは、一人の外国人の友人をもつことから、人は国際人になっていくのであるから、人は一人の外国人で変わるのである。

2、Sohrab Sepehriの詩

その外国人の友人から紹介してもらったのが、Sohrab Sepehriである。Sohrab Sepehriは、イランの詩人で、絵画のような世界と内面を描くイランの詩人である。彼は、イランで最もポピュラーな詩人で画家でもある。

彼の詩は、シンプルな言葉を使い、韻律があって、メロディがある。彼は、自然と人間の精神について語る。近代人の未来を見つめない人でなく、美と静謐について語る。

Maryam Dilmaghani に寄って英訳された詩を自由訳しました。日本人と共通する自然への感覚と内面の感覚は、ペルシャの色彩のようです。

 

光と花と水とわたし

曇の印もない

曇を動かすそよ風もない

わたしは、池のそばに座る

金魚、ダンスをする光の波、

花と水

汚れなき生命の樹

わたしの母は庭のフェンスの近くで、ミントの花を紡いでいる

いくらかのパン、数枚のミントの葉、一切れのチーズ、真っ青な空、積み重ねた西洋夾竹桃の上で、

救いは遠くではない

それは、庭の花の後ろに隠れている

光は、わたしのガラス瓶、ゴブレットを、やさしく撫でている

星の光は、太陽の光を地球に招いているように見える

一人で思うのは、すべてのものを

光りの殻であるシールドの後ろに隠そうとしている

その時わかるのは、時の果てに

数本の太い涙をもっていて、

わたしの顔が他の世界を見させてくれる

本当は、私が知らないものがある

知っているものがある

知っているのは、わたしは丘の上まで飛ぶことができる

はねと翼をいっぱいもって

夜の暗さの中に外の場面をみることができる

いっぱいの光と砂で

いっぱいの花と植物で

いっぱいの道、いっぱいの橋、川と波で満たされて

池の表面の重さのない葉で

わたしは満たされている

しかし、わたしは知っている

どれだけ孤独であるかを

どれだけ心の中が

ありのままであるかを思う