Blink(ブリンク1)(644)


1、いくつかの判断力

 

 

安倍政権は、韓国や中国の歴史にサイクルの戻ろうとしていることを背景にして生まれた。韓国は1000年の怨念,または恨に再び生きようとしている。そして中国は、支配階級と被支配階級に分裂を再び繰り返そうとしている。

 

安倍政権は、このような国に囲まれて日清戦争と日露戦争をした時代に戻ろうとしているようだ。江戸時代の農耕民族の時代から明治時代の騎馬民族の時代へと変わったように、2013年は変わろうとしている。

 

そして日本では、公務員の賃金は下がり続けていく時代であり、優秀な公務員は民間になろうとする。

しかし同時に一方公務員になろうとする人は増えている。滋賀県ではブラジル人の人へのワークシフトが起こっている。一方少子化の中で、女性を中心として人達は、ますます子供を資格に頼って生きていこうとさせる。現実には、資格をとるならば数%の合格率の資格しか役に立たないのに。

 

このように矛盾したことが同時に起こっている。農耕民族としての日本人と騎馬民族としての日本人の交代が起ころうとしている。そして外交と国防以外は、関西の道州制の実現の足音である。

 

同様に、20代や30代で成長体験を共有できるチームに参加しようとする人々がいる。反対に、わずかの資格にしがみついて,ルーティンの仕事を20代や30代にしていて、成功体験を仕事でえることなく生きていく人々がいる。2種類の人達がいる。

 

中国のPM2,5などの環境問題や韓国の高齢者の貧困問題から、中国の経済を再び日本が逆転する可能性が高いのである。中国環境コストや極端に少ない韓国の社会保障費を考慮するならば、相対的に日本の競争力は高まるのである。以下のブリンクの先見力は、577のブリンクを修正したものです。

 

 

2、他力と自力

 

 

現在の自分がこのような形で生きておられるのは、自分自身の努力や訓練の結果である、と思っている。自分の努力で人生を切り開くことがなかった人間は、ほとんど例外なしの後半の60歳以降の人生の悲惨な結末を、多い。

しかし、どうしても判断できない状況についての一瞬の判断は、果たして自分だけで判断をしているのだろうかと思う時が、自分の人生を振り返ると,確かにある。

 

この一瞬の光(ブリンク)は、どこからやってくるのかについて考えてみる。

「悔恨・苦悩・不安・を乗り越えるのは、自分自身です。自分が努力しなければ誰も助けてくれませんし、神仏に祈っても運命は変わりません。その意味で自己超出は自力です。

 

しかし自分が乗り越えるには、生きている他人や他生物とその創造物、他の物質的自然、そして死者の理知を通じての全存在の助けが必要です。・・・死者となった他人と他生物が生前の理知的行為体験の反省に基づいて、その体験の統一意味関連の一部に結び付けてくれたもの、すなわち良心の声・啓示・インスピレーションなどと呼ばれるものが含まれます。

それらを参照することは、それらに教えられること、それらが提供してくれる知恵に助けられること、つまり他力にほかなりません

 

「・・同じ課題を一生の勤めとして業なかばに逝った先死者の勧誘に動かされたのかもしれません。そうであればそのいずれににせよ、私がそう志すにいたったのは他力による、ということになります。しかし、私と同じ素質と環境の下に成長したひとが、みんな私と同じ志を立てるわけではなく,先死者の勧誘に応じるか否かは私の自由ですから、志を立てたのは私自身の自由意志、すなわち私の自力です。」

 

「」は沢登佳人先生の言葉です。それはどこまでが自力であるのか、それとも他力の力なのかが分からなくなる時がある。著者の沢登先生と同じように、わたしも、自力と他力を行きかう。自分の仕事について、私も自力なのか他力なのかが分からなくなる時がある。

 

沢登佳人氏の文章は、宇宙超出 第43号より

 

 

3、 瞬間の判断

 

 

いくら考えても判断がつかないときに、光のきらめく瞬間が努力と訓練をした人生の達成者には訪れることについて、Blinkの著者であるMalclom Gladwellは、次のように説明している。

 

「光のきらめく瞬間は、考えることなくいかに考えるかであり、目の瞬きのような瞬間に判断をすることが、すべである。この判断は、現実には見えるほど簡単ではない。他人には説明ができないほどの、瞬間の判断である。」

 

「ある人には、なぜに輝かしい意思決定ができるのか?

ある人たちは、直感に従いそして勝利し、一方ほかの人はビジネスの失敗につまずくのか?

なぜ一瞬の判断が、不安の中で苦しみ続ける人よりもよい結果となるのだろうか?

一瞬のきらめきのような決定がそれほど大切なのか?」

 

この本Blinkの中で著者は、以下について、さまざまな事例を使いながら説明していく。私も先見力としての判断について、この本の著者に、同意する。

 

いかに訓練と練習が、正しい判断をするためのわれわれの能力に、いかに影響を与えていくのか?

そしてわれわれがおこなうところの判断力についての選択の品質を改善することについて学ぼうとするならば、このすばやい判断の不思議な性質を受け入れる必要がわれわれにはある。

 

4、白いろうそくのちらつく炎

 

 

優れた成果をあげる人々の先見力と判断力は、実は早い動きの下でおこなわれているはずである。高いストレスやプレッシャーの下での人生の達成者たちの早い先見力は、彼らの訓練やリハーサルの下での一つの働きの賜物かもしれない。この訓練や不断の練習がなければ、すばやい判断力は訪れてこないとも言える。

 

またすばやいこのすばやい判断力は、頭脳の二つの領域の働きから生まれているのかもしれない。われわれの頭脳のでは、左脳は言語で考える。右脳は、絵画として考える。ある人間の顔を表現するときに,ビジュアルなイメージに瞬間にわれわれの頭脳の活動領域は置き換わっているのかもしれない。

 

このような言語的な頭脳の働きから、ビジュアルなイメージに頭脳が切り替わるときに、わたしたちのすばやい判断力が生まれてくるのだろう。

それともこのすばやい判断力は、右脳や左脳の働きではなくて、沢登先生の述べるように同じ課題を一生の勤めとして業なかばに逝った先に死者となった者の勧誘に動かされたのかもしれない。啓示やインスピレーションの形をとるのかもしれない。

 

いずれにしろすばやい判断力とは、これら3つ、日ごろの訓練と努力、右脳と左脳の働き、そして死者からの啓示の3つが、混ざり合って成り立っていることは、大いに推測できるのである。

 

それは、われわれの一瞬の洞察力や知覚力は、頭の中で電球のイメージとのような形でなく、わたし達が簡単に消すことができるような白いろうそくのちらつく炎のようなものかのもれない、

 

(つづく)

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