野の百合、空の鳥(652)


1、思い半ばで逝ってしまった死者を敬う日

 

2013年6月16日(日)に、亡き父の17回忌と、合わせて亡き母の13回忌をした。その日は、6月半ばであるのに連日30度以上の真夏日となっている日であった。亡き両親を、思い出してあげる。次の亡き両親への感謝は、お盆や、秋分の日である。

日中は30度以上の暑さが続く。思い半ばで逝ってしまった死者を敬う、お盆や秋分の日ももうすぐ屋ってくる。回忌の日、お盆、そして秋分の日などは、死者となった両親や、育ててもらった二人、叔母のお花さんや従妹であつた明子さんなどの、今は祖先となってしまった人達を敬い、感謝をする日である。。

それらの人々は思い出してあげれば、わたしの心の中にいつまでも、生きている。そして、それらの人は、今は、わたしの性格の一部となっている。他人や祖先や自然に対する交流ができるようになっていくと、神仏との一体感を感じるようになる。

 

2、神が与えてくれた才能

 

わたしたちは、2種類の才能をもっている。ひとつは、その人間が作り出した才能である。もうひとつの才能は、神が与えてくれた才能であって、これら2つの才能がある。神が与えてくれた才能に、人はある時にはコンタクトすることができるようになる。

もしその神が与えてくれた才能にコンタクトできる時には、死者が託したメッセージを読めるようになるかもしれない。

 

だから本当の成功はお金を儲けることが目的でなく、神が与えてくれた才能にコンタクトして生きるようになることかもしれないと思うようになった。その時に、本当に生きることや先見力も見えるようなる。

 

神が与えてくれた才能でもってして仕事をしていくようになると、後から報酬はついてくるようになることも見えてくる。神が与えてくれた才能にコンタクトしていくならば、得意なことや好きなことを、もっとよくできるようになる自分が、見えてくる。

 

自分の自助努力でもって作り出す才能と共に、神が与えてくれた才能へのコンタクトするようにすることだ。死者となった人達への敬うことと祈りが、神が与えてくれた才能へのコンタクトに導いてくれるだろう。

 

 

3、野のユリ、空の鳥

 

 

自分を育ててくれた亡き人々を敬い感謝していくならば、これら2つの才能にコンタクトして、幸福と人生の道を、見つけられるようになるだろう。死者は、自然に触れるとき、野のユリ空の鳥のように、私たちを導いてくれるのである。

 

「野のユリ空の鳥」は、キルケゴールのキリスト教の講話集である。

自然は癒しを与えてくれるように、モーツアルトのアイネクライネナハトムジ―クのような美しい音楽も、高貴な心を与えてくれる。

 

わたしを育ててくれた死者達は、守護霊となって何時までもわたし達の中で生きていく。死者たちは、知恵、生きるための志、そして大きな生命の木になることを教えてくれる。

 

一方、誰とでも代替できるような仕事をしていては、神が与えてくれた才能を使って生きていくことにはならないことも教えてくれる。そのような仕事をしている限り、結局はお金を得る仕事が目的となる生きかたと同じになる。

 

二つの才能で持って仕事をしていくことは、本当の仕事にもっと楽しみ、生きている限り挑戦することにならない。

神が与えてくれた才能とコンタクトすることは、生命を完全に生ききることと同じである。それゆえ、生は限りなく貴重なものである。誰かと代替できるような仕事でもって一生を終ってしまわないことである。

 

思い半ばで逝ってしまった死者やお世話になった死者や祖先たちへの畏敬の思いが、わたし達を導き、助けてくれる。その日が、17回忌、13回忌、お盆、そして秋分の日である。

 

天は自ら助ける者を助けると同時に、神が与えてくれた才能にどのようにコネクトするか、が、幸福に生きることと永遠の生命とつながる。

 

これらの日に、育ててもらった死者たちを感謝をして、思い出すこと。思い出してあげれば、その人達は、いつまでも生きている。思い半ばで逝ってしまった死者が、生命と言う大きな川の流れとなって、わたしたちを導いてくれるのである。

 

 

4、マタイ第6章24節より

 

「なにを食べよう、なにを飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい,何を着ようかと自分の体のことで思いわずらうな。

命は食物に勝り、体は着物に勝るではないか。これらのものはみな異邦人が切に求めているものである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。

一日の苦労は、その日だけで十分である。

野のユリでさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなた方に、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄いものたちよ。」

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