Archive for 10月, 2013

本多静六、3(660)


 

文書660への感想

狐狸庵生徒の感想
TEDのメグ、ジェイは、20代の過ごし方から、生涯収入の8割は決まる、
と言う

日本でも金融や投資に関する積極的な学校教育が必要ですね。

中学校で金融や投資に関する基本的な知識、高校ではパソコンを使って
株式や投資信託の売買を疑似体験するのがよいかも知れません。
株の先物取引なども疑似体験して、お金を活用するときの利益とリスク
をある程度体感することが、実社会に出てからお金の活用で痛い目に
あう確率をかなりの程度減らすものと思います。また人生全般における
リスクマネジメントにも鋭敏になれるかも知れません。

 

Ⅰ2、アイデンテティの発見

 

 

「竹内均;独立した生活ができるだけの財産をこしらえなければならない。そうでないと金のために自由を奪われ、精神の独立も生活の独立もおぼつかないようになる。

貯金ができたならこれを有利な事業に投資しなければならない。自己実現は、自分の好きなことを精一杯して十分に食えるだけでなく、それが他人によって高く評価されることである。」

 

精神の独立と経済の独立した生活するために、財産を作ることを早くからスタートする。それができたなら、できるだけ早く投資をすることを、第二の職業とするのである。そうすることから、仕事に冷静にそして客観的に対処できるようになった。

食べるために生きる生活を長くしていると、精神の独立は一生できない生活で終わることもある。自分にふさわしい仕事は、自分のアイデンテティの発見から始まる。TEDのメグ、ジェイは、20代の過ごし方から、生涯収入の8割は決まる、と言う。

私のアイデンティの発見の旅も、20歳代であったのだろう。

そして35歳くらいで、ほとんど私の生涯年収は決まっていたのであるし、その延長で現在に至っている。自分のアイデンティの発見と生涯年収は、メグ、ジェイの話のように一致していくのである。

精神の独立と生活の独立は、日本ではいつの時代であっても決して自助努力なしには実現できるものではない。自分のアイデンテティの発見することから、人まねではない仕事をするようにと、人を導くのである。その後付き合う人も決まってくるのである。

13、人まねではだめ

 

そのためには、どこか及ばない偉さのある人や企業から、どこか及ばない偉さを学ぶことにある。そして、同時に仕事は、単なる人まねではだめであることも、自戒して学ばなければならない。この人まねのビジネスをして、繁栄した人はない。

 

小さな前進を続けていくなら、何が現れて来るか、についての本多静六氏の言葉である、高き理想、最後まで働こう、常人の及ばない偉さ、時勢の働き、に続く、人まねではだめ なのである。

 

社会に残していくものは、財産ではない。それは、思想と事業であってそれらは永劫に伝わっていくものであるからだ。長く伝えるものを残さずに父も死んだ。これらこそが、私が残すために仕事をするのであろう。

 

 

「どんな小さな理想(一歩前進)でもよろしい。

それがひとたび実現すれば、

もはやそれはその人の人生の現実となる。

しかもその現実を土台にして

より高き理想が現れてくる。

 

私の肉体はいつか滅び去るであろうが、

私の思想と事業は、永劫に伝わり

永久に生き残ると信じて、

最後まで働こうと決意したのである。

 

世の中で、一番ありふれて

一番真剣なのが

金儲けの道である。

不正でない方法、不正でない努力で、

金儲けに成功できるものは、

どこか常人の及ばない偉さがあると私は信ずる。」

 

金儲けは金儲けとして、あらゆる人が与えられたすべてのチャンスを掴めるのがよい。自分の頭で、時勢の動きというものを捉えていかねばならない。単なる人聞き,人まねでは絶対だめなのだよ。

金儲けに成功したのを悪くいわれるのは、金儲けしそこなった連中の嫉妬からじゃよ。」

 

以上「」は、本田静六著「私の生活流儀」実業の日本社発行より

 

時勢の動きとしては、2013年4月後半から現在10月末まで、日経平均はほとんど上昇していないのである。この意味は、この期間に一般投資家は儲けることができていないのである。チャートを見るならば、この期間三角もちあいが続いているのである。

 

この三角もちあいを、証券業界や株式雑誌は、上昇のエネルギーの蓄積と言うが、そうでなく、これからは、下離れの危険性も十分にあるのである。

 

このような判断は、単なる人聞きや人まねでない仕事をすることにある。そのような仕事は、自分のアイデンティを明らかにすることからスタートするのである。そのために、本を思考の糧として考えて読み、そして、そのような自分のアイデンテティを明らかにするのに大きな影響を与えるような友人は、遠くにいるか、友人の友人かもしれない。

 

近くにいる友人ではない。これが、人まねでない仕事にたどり着く要諦である。このような仕事を見つけた時、自分の思想と事業は、永劫に伝わり、永久に生き残ると信じるようになり、生きるに値するのである。この信じで生きるものは、お金ではないのである。

 

その結果、死ぬまで働くことが、できるようになるのである。

死ぬまで働くことは、死ぬまで生きぬくことであり、死ぬまでやりぬく、ことなのである。

以下は、以前に引用したことのある綾羽一紀さんの次の言葉である、この言葉、しかも 生きるに値する、懸命にやると奇跡が起こるが、わたしの日めくり「楽しみながら」の結論となるのである。

永久に生き残ると信じるものを残すまでは、しかも、まだ仕事を完成していないから、生きるに値するのである。そして、常人の及ばない偉さに挑戦するのである。

 

懸命にやると奇跡が起こる

人生は どんなに苦しいことがあっても しかも 生きるに値する  綾羽一紀

 

 

 

本多静六、2(660)


8、勤勉と努力高き理想

 

 

本多静六氏の言葉を、わたしの人生の師としての教えとして、いつも読み返していく。彼の言葉の勤勉と努力によって常に前進していくならば、より高き理想が私たちの前に次表れてくるだろ。この勤勉と努力による前進から、次の理想がいつも始まってくる。

 

そのためは、失敗の経験を得難い教訓にしていくこととフィードバックによる時間の経過の点検から始まる。この失敗の経験とフィードバックの2つから、成長する人と企業は、次の理想を描くことができるようになる。

 

フィードバックに書いた富士重工業は、マスマーケットでなく、2~3%のニッチマーケーットを対象とするビジネスをしている。私たちもビジネスをする自立する場合、このニッチマーケットを対象にすることと次に何をするかについて、が参考になる。

 

いくら本を読むだけで、本を思考の糧にして行動しなければ、応用科学の経営においては不十分である。

そうして、違った視点で物を見る力をつけるように努力していく。それは、失敗の教訓とフィードバックによる自分の、および企業の過去の時間との対比することによって思考の糧にしていくことができる。

 

その時、私たちの若い時の貧乏や失敗が、繁栄を築くための宝になっていくのである。そしてニッチマーケットについての戦略と進歩のためのフィードバックをすることによる修正をして次に行動を実行する。そして時流の動きを読むという先見力をつけていく。

 

それらから、繁栄と幸福はスタートしていく。

私にとっては25歳くらいの時の失敗が、すべてのスタートの始まりだった。その失敗は、発酵したワインのようなものになっていく。25歳の時の失敗は、いつも輝いている。それは、人はできるだけ早く失敗をすることの教訓であった。

 

金儲けをしようとすれば、日本と世界中の時勢の動きについての時流の動きを読むという先見力を、いつも高めていくようにする。それは、新興国の債権や株から日本のリートへ移行という流れである。この違った視点でみることができることによって、ビジネスや人生での成功と繁栄を実現できる可能性が大きくなっていく。

 

 

9、一期一会と見えない赤い糸

 

 

 

それには取引先の人や不思議な人との出会いに喜びを感じ、幸運の女神もほほ笑んでくれることに、感謝していくのである。加えてだれにも運の働きがあり、誰にも祖先からの先天運自分の努力の後天運の働きが、作用していく。

 

ギリシャ悲劇のソフォクレスによるオイディプス王のように、運命の悲劇が人生に訪れることもあるかもしれない。しかし、同時に見えない赤い糸で結ばれているような不思議な人の出会いもある。だから、一期一会を大切にしていく。

 

引き合う人同士の力も、あるだろう、しかし反対に長く付き合っていても、そうでない人の関係の人もいる。人は全く異なる環境で20年間も生きていけば、過去に親しく見えた人であっても、違う世界に生きている人であることが分かり愕然とすると時もある。

不思議な人の出会いを、感じないではおれない。

 

この不思議な先天運と後天運の交差と人の出会い失敗の記憶をいつまでも大切にしていく。そして時勢の動きを味方につけて、人と異なる視点を育て、人を見分ける力を育てていく。そして不撓不屈の精神をもち続けていく。

 

 

10、    どこか及ばない偉さがある人と企業

 

 

不正でない方法で金儲けができる人には、どこか及ばない偉さがある人を正直に認めて、そして、その人を賞賛していくようにする。すぐれた人や企業を褒めたたえて、その良いところを常に学ぶようにしていく。本多静六のような人をメンターとしていくのである。

 

一方金儲けを悪く言う連中には、金儲けしそこなった連中の嫉妬が潜んでいる。嫉妬を深くもっているような人たちは、卓越した状態になることができた人を尊敬しない。そして、そのような人たちは、不正でない方法で金儲けができた人から学ぼうとはしない。

 

私たちは、不正でない方法で金儲けをした人と企業から学ぼうとすることである。

今やイノベーションは、今IPS細胞や大学からのサイエンスから生まれる時代である。

イノベーションの80%は、サイエンスから生まれてくる時代である。

 

「金のあるところには、様々な知恵が集まり、続々よい投資口、面白い投資口が出てきて、やたらに金が増えるものである。

いかに学者であっても、本人自身に相当資産ができないような人には、どこかに欠点があるのだから、相談してはいけない。

本多静六著「自分を生かす人生」

 

これは学者だけでなく、誰もある年齢になった人でいまなお貧困の生活をしている人には、どこか欠点がある、ことを見るのである。このような人は、又は、サイエンスと関係のない生活、または先見力のない生き方を送っているかもしれない。

 

 

11、生きることは芸術

 

 

それゆえ、これは、人を見分ける力にも、サイエンスへの好奇心や先見力のない人かもしれない。そのような人には、相談もしてはいけないのである。

相当な資産ができない人とのつきあいについては、学者でなくてもある年齢のすべての人の付き合いを慎重にするようにと、教えている。相当な資産を得た後で、「あらゆる人間の職業を芸術家のそれと同等の位置に向上させることは、今日文化生活の急務で、しかもこれは人生哲学の極致である。」と言う。

 

人生は、やがて芸術となっていくのである。反対に、最も考えられる不幸の原因は、我々の心深く根差しているものとして、嫉妬がある。不幸の原因としては、いまだに結果の平等を求める政党がある。このような主張の政党の人は、何かを達成したあとで、社会に貢献する人や企業などを褒めたたえることはしない。

 

反対に人は、どこか及ばない偉さがある人と卓越した企業家から学ぶかどうかである。そして生きることと繁栄するビジネスの道は、やがて芸術の道と重なっていくのである。

数学が音楽と共振していくことを、「オックスフォード白熱教室」の数学者のマーカス,デュ,ソートィ教授が語る数学は音楽と関連性があるように、生きることは芸術と重なっていくのである。

(つづく)

本多静六、1(660)


「」は、「自分を生かす人生」より引用、本多静六著、竹内均解説、三笠書房

「自分を生かす人生」本多静六著、竹内均解説からの引用です。以前の文章を全面改定しました。

1、 最高の満足は、努力そのものの中に

 

「一生涯、努力を続ける

今日のわれわれの生活、
すなわち人生は徹頭徹尾、努力であり、
努力に努力を重ねて
いくところに、
初めて自分の人生の意味があるといえる。

努力なしに人生はなく、
人生のあらゆる幸福・慰安・休息も、
さらには、喜悦も満足も、感謝も、進歩も、
すべて努力を通してのみ初めて得られる。

結局、人は一生涯、努力を続けること、
しかも楽しく努力することこそ、
すなわち人生であると、
徹底的に悟らなければならない。

自己の真価はただ自己の努力によってのみ発揮されるものであるから、努力を欠く人はひとつの成功もできずに世を終るもので、人生これほど憐れるべきものはない」

人は一生涯、努力を続けること、
楽しく努力することこそ、
すなわちそれが、人生であることを、
徹底的に悟ることが、努力即幸福であると彼は言う。

 

 

2、友を選ぶ基準

本多静六氏は、友を選ぶ基準として、

「1、その性質が誠実であること、

2、何事か自分より優れた点のある人物であること。

3、責任感の強い、実行力のある人

低級な友人は、いかに多くとも、いたずらに繁雑と冗費とを増し、時間を空費するのみであって、かえって成功の邪魔になることを知らねばならない。」

と語る。この3つの基準によって友を選んでいくとするならば、そのような友は、かけがいのない財産となっていくのである。このような友人が財産であることに気が付き、感謝していく。

3、正直、勤勉、そして実力で得た幸福

 

自分の努力によって得た幸福は、たとえその分量は少なくとも、心の中に起こる快感は絶大なものであるから、それが度重なるに従い、ついには自分の努力一つで自分の幸福を増大しえることを悟り、内心いよいよ快活となって勇気が起こり、ついには偉大なる成功を成し遂げ、大幸福者となるのである。

一度成功してももはや働く必要がないから隠居するなどと努力を止めたりすれば、幸福はたちまち逃げてしまう。幸福がその人の努力により、実力で得たものでなければならないのだ。」

正直であること、約束したことは必ず実行する。実行できそうもないことは約束しない、と述べている。このような3つ、正直、必ず実行、できないことは約束しない人には、幸運を運んでくれる、ことに間違いはない。

加えて彼は、成功と人付き合いの秘訣は、勤勉、正直と思い上がりをしないことと言う。思い上がりをしないとは、謙遜を忘れない、あるいは感謝をいつも相手に伝えることである、加えて、自分の努力によって得た幸福は、山を登りきった快感で同じであることを改めて、悟るのである。

4、生活は常に上り坂であることが大事

 

 

「人生の幸福は現在の生活程度よりはむしろその生活の方向が上り坂か下り坂か、上を向くか下を向くかで決定せられるものである。つまり人の幸福は出発点の高下によるのでなく、出発後の方向のいかんにあるんだ。ついに努力を習慣として、日々新たに向上発展することになるからである。」

この生活の方向が上がり坂であるか、この快感のためにこそ、仕事をするのである。そのために職業の道楽化を目指して、奮闘する努力主義を自分の第2の天性にすることが、幸福と繁栄になることである。

5、ただ一つの目的に集中する      

「いかに微力な人でも、その全力を只一つの目的に集中すれば、必ずそのことを成就し得るし、逆にいかに有意な偉い人でも、多くの目的に力を分散すれば、一言さえもなすことができない。

成功の秘訣は第一に貧乏人の子供に生まれること、第二にどんな職業でもいいから絶えずその第一人者になることを心がけることだ」

と述べている。現実には、この言葉のようにただ一つの目的に集中していくならば、そして第一人者になることを心がけていくならば、よき結果が訪れるに間違いないことに、私もようやく気がついてきた。

6、いよいよ死ぬまで働き続け、学び通す

 

 

約束を守る人は、人生のなかで約束を守り、感謝を表していくので、これが幸運の女神を運んでくる。

成功する人は、仕事を労働時間でもってとらえないから、よき成果を残す仕事をすることであることを知っているからである。

成功する人は、よい環境を作り、約束を守り、自分でしか貢献できない形でもってただ一つのことに集中して、よき成果を残す人なのである。

このような人は、年の経過とともに、幸福と繁栄を手に入れることができる。このような人は、やがてその職業を道楽化していくのである。仕事を楽しむことができる人になる。

どうしてだれにでもできる仕事などを止めて、天職とでも呼べる仕事に、挑戦しようとしないのだろうか? 仕事にチャレンジし努力していく人間には、自分でしかできない仕事、幸福そして繁栄が、高い山に登った時のように見えてくる。

そして「いよいよ死ぬまで働き続け、学び通すことである。」これを理解する人は、一生働き、学び続けるのが人生であることがいつか見えてくる。これが見えてこない人は、仕事をやめたならば、その後は学ぼうともしない。

 

 

7、様々な知恵が集まる

 

 

本多静六氏は、学者であって、四分の一蓄財法をした。そして、「金のあるところには、様々な知恵が集まり、続々よい投資口、面白い投資口が出てきて、やたらの金が増えるものである。」と語る。まさに、様々な知恵が取引先などから集まってくる。

このようなお金が集まるところに知恵が集まってくることを、先日体験する。翌日午前9時ころにすぐに行動した。様々な知恵が集まるにおいて、どのような人間との人間関係を作るのか、またはどのような人とは人間関係を作らないようにするか、の意味も、反芻する。

「知的余生の方法」での渡辺昇一氏も、支払い能力の差が友人関係に作用することに気が付いたのは、50歳を過ぎてからだとも述べている。経済状態があまりにかけ離れていると、友人関係を続けるのは難しい、との渡辺氏の言葉も同じ意味である。

(つづく)

フィードバック(659)


ドラッカー3の中のフィードバックの説明です。

 

1、フィードバックの意味

フィードバックは、一定の期間の進歩のプロセスを記録から検証することである。一年前や、9か月前の記録と現在の記録と対比して、どの程度進歩しているかを測ることが、フィードバックです。

進歩のためのフィードバックをすることは、自立して成長しようとする人には、なくてはならないおとで、進歩のプロセスのフィードバックをする事は、日常毎日の仕事である。

 

自分が進歩していくために、人はゴールの設定をしてと、それに至る進歩のためのプロセスに注意を払っていく。そしてもしも、そのゴールの設定が合理的にできでいないとするならば、われわれは、やる気をなくしていくし、インスパイアされることもない。

反対にゴールの設定があまりに簡単であるとするなら、楽に苦労なく進むようになる。その時は、進歩に一致した行動をしなくなる。そして、その結果、なにも起こらなくなっていく。自分が変化しなくなり、それでは、日常生活で焦点が欠けてしまう。

フィードバックなしでは、自分で能力を開発するための自己管理ができていないことになる。そうならないためには、いつもフィードバックを使い一年前の記録を見て、自分で学び、成長していることを検証していくのである。

自分が設定したゴールに向かって進んでいることをフィードバックするようにする。フィードバックによって、自分の進歩を検証する習慣を身につけていく。

 

 

2、徹底的に考える習慣

 

 

自分が成長していくためのゴールとそのプロセスを定義していく。即ち徹底的に考える習慣を第二の天性にしていくことである。

そのためには、新しく付け加えるべき、わたしにとっての経営資源は何なのかを明らかにする。

しかし、一人だけで進むことは困難であるし、またそうする必要がない。チームで進めていくようにする。わたしの経営資源に何を追加していくのか?を考えるのである。

チームですると共に、自分にとってのコーチを求めていく。

同時に、フィードバックは、他の人を観察していく観測力を鋭くしていくことである。

もっと巧みに調整ができていれば、そのコースにとどまるのである。そしてうまくいかないものは捨てて行き、うまくいくものは続けていきフィードバックをしていくのである。数年間にわたる社会や人の、そして自分の変化を客観的に判断できるようにするのである。

そしてこれらの変化を、新しく学んだアイデアを自分の頭脳に編入していくようにする。このプロセスは、一年前のデーターと現在のデーターを対比してその検証の結果のいくつかをいつものノートに書き加えていくことである。これが、フィードバックをすることである。

3、他の視点でみる

 

だから、自分の人生や他人を、研究室の中の研究材料のように客観的に取り扱っていくことにある。そして、新しいアプローチと検証を自分で試みていていき、新しい価値体系を加えていくことは、自分や他人を客観的に扱うことでもある。

それゆえ、私の失敗や他人の失敗は、次の世代への引き継いていくための研究材料の記録であるからだ。それを、小さなノートに書き留めていく。また失敗の検証であってもその意味は、一つの方法が働かなかっただけである。

うまくいかなかった場合は、ほかの方法を探すようにと、わたしに働きかけるだけである。ギブアップしないで、ほかの視点で持って対象を見ることになる。

建設的な 批判的な考え方というものも、役に立つのであるが、過小評価されている。批判的であることは、生産的になることであり、特に懐疑的あることは、ほかの視点を探す試みである。

そのためには、いつも仮説を作り、その証拠の有効性をテストしていく習慣をつけるようにしていく。研究所のように自分や他人を客観的に見るようにする。そして考えることをこのように考えることを極めていくのである。

それゆえフィードバックは、他の視点で見るような観察力を鋭くすることでもある。

4、その仕事をする意味

これは数年前にボランティアから事業をしている人達についてのフィードバックの事例である。趣味や災害については、ボランティアが中心となるだろう。しかし、事業を行う場合は、企業と言う形でもって実行すべきなのである。

企業の目的は、自分や自社の強みを伸ばす、人がやっていない強みをさらに強くすることから始まる。これが、ボランティアと企業の違いである。

しかし、事業をボランティアや協同組合の形態でしている人がいる。

個人が事業で生き残り、企業規模の大きい企業と競争していくためには、自分の強みをさらに伸ばすことから始まるのである。事業をするときには、一般的に事業をボランティアや協同組合の形態でもってするものではない。

強みをさらに強くして成功している事例が、富士重工業である。富士重工業は、日本で一番企業規模が小さな自動車会社である。この会社は軽自動車の製造販売を止めて、アメリカなどの先進国を対象にして、新興国には高所得の人を対象にしていて、新興国向けの大衆車を作らない会社である。このようにして、富士重工業は、収益を伸ばしている。

誰を対象にしてどのような商品やサービスを展開していくについて、企業がすることのヒントがここにあるのである。人間が何で持って成長していくかも、ここに秘訣がある。

富士重工業のように企業とは、さらに自社の強みを伸ばし、よい商品やよいサービスを提供することである。低価格な商品や、低品質のサービスの提供では、企業を衰退、または倒産させていくことが多いのである。

富士重工業のように企業は、先進国の消費者と新興国の高所得の消費者を対象にすることであり、それを他業界から学ぶことができる。その企業の強みからスタートすることであり、必ずしも新興国を優先した取引をすることでないのである。

反対に事業をボランティアや協同組合の形態でしては、他の企業がしていることをすることに疑問を持たなくなる。商品やサービスを徹底的に考えることにならないのである。

事業を行う企業であるならば、他の人や企業がすでにしていることであっては、または他の人や企業ができそうな仕事をしていては、その仕事をする意味がないのである。

事業をする時には、ボランティアや協同組合組形などの形態でなく、徹底的に考えてよき目的を持つ企業の形でするのである。