Archive for 1月, 2014

船井幸雄元会長(日本の経営、2)(665)


1、   船井幸雄元会長の社葬

 

船井総研の創業で現最高顧問である船井幸雄さんが平成26 年1月19 日に亡くなられ、近親者のみにてその葬儀が執り行われた。そして船井総研社葬が平成26 年2月14 日 13 時に行われる、との連絡が届いた。

 

去来するのは、私が船井総研に在職の30歳代、40歳代 、50歳代の後半近くまでを船井総研で仕事をした。特に30歳代においては、毎月初めに故船井幸雄さんの話を、数十人の社員の一人として聞いた思い出である。

 

その当時の社員は、量販店のニチイ、イトーヨーカード―、平和堂などの出身の社員が多くいた。入社当時の社員数は、50人くらいであった。故船井幸雄さんの話で、プラス発想、過去オール善と言うキーワードは、今もわたしのバックボーンになっている。もうひとつのキーワードは、喧嘩に強い、換言すれば、企業間の競合対策であった。ひとつの時代が終わった。

 

2、      塞翁が馬

 

わたしが船井総研に25年くらい在職したことは、もとは前回のここまでで十分と云う恩返しは無いと言うこと書いたように、40年前の全農在職の時の山下生活部長によって量販店部門を私を担当抜擢してもらったことかが、わたしのスタートであった。

 

この恩を返すことを、山下生活部長が人生に影響を40年後にも与えたことを思い出しながら書いた。その後に、私が30歳代の時に故船井幸雄の話や本によって、私に影響を与えた上記の2つの言葉がある。

 

しかし、船井総研に在職していた人の70%の人は、ほとんど途中で辞めた。それは、日本の音楽は、中央アジアの音楽に共通点があるここと同じである。それは、船井流のコンサルティング手法は、船井総研でなくて、全く異なった場所の誰かに、引き継がれるのであろう。

 

長く65歳前後まで同じ組織にいる人は、肩書きがいつの間にか人を傲慢にさせていく。またいくら肩書きが立派であっても、自分でパソコンを使えない人は、人とコミュニケーションができない人になっていることを、改めて発見した新年でもあった。

 

私もそのようになることを恐れて、60歳までに辞めた。

その理由は、人が長く同じ組織にいると、違った年齢や違ったキャリアの人を同じ視点でしか、見えなるのである。60歳も超えると、一生ある会社の肩書でしか他の人を見えなくなるのである。そうなりたくないから私は辞めた。

 

どこの会社にいても同じである。これについて、昨日1月23日に比良雪稜会の西村高行さんが自宅にきて、50歳の時に銀行を辞めて、むしろ良かったとの話を聞いた。

 

西村高行さんから、比良雪稜会では、様々な年齢の人々に出会うことと、今はその女性たちの活躍が中心になっているとの話を聞いて、うれしかった。このような違った世界の人に出会うこと女性たちの活躍の場は、一部の企業と非営利組織かもしれないから、塞翁が馬である、予測できにくい。

 

3、 花を忘るべからず

 

肩書きがあると死ぬまでそれをもっていこうとする傲慢な人になってしまう。そして、あまりに長く同じ組織いるとその組織の見方でもってしか、人を見ることができなくなる。

 

そう、成長とライフサイクルを世阿弥の離見の見でもって、人と組織を、見ていくことである。そして加えて世阿弥の花を、幾つになっても追い求める花を心の中に育む人になることであるだろう。

 

年々去来の花を忘るべからず 幾つになっても、花を忘るべからず なのであるだろう。

変わり続けていく人になりき、レッテルで人を見ない。女性たちの活躍は、古い企業組織でないだろう。故船井幸雄さんの精神は、思いがけない場所の誰かに引き継がれていくのだろう。

 

一方継続する経営にチャンスがあることを、16年にわたるギャラリー喫茶ルームブナを経営している西村高行さんが、話していたことを思い出す。

ビジネスに真摯に生きる人は、故船井幸雄さんが到達しなかった場所に辿りつけるチャンスがある。船井流は、即時業績アップである。

 

歴史とライフサイクルについては、大学の経営学部もコンサルティング企業も、未来のために取り組まないが、未来のためにこそ取り組むことであるだろう。

船井幸雄元会長さんのご冥福を祈ります。合掌

日本の経営とイスラムの文化(665)


1、日本人は世界のどこからきたのか

イラン出身の友人に、東儀秀樹のよる雅楽の楽器、ひちりきの音楽を送った。その後で送られてきたのが、Javad Maroufi – Khabhaye Talaee のイランの音楽であった。この音楽を聴いていると、やはり中央アジアを超えて、昭和を思いださせるような懐かしい気持ちになる音楽である。Javad Maroufi – Khabhaye Talaee のイランの音楽を、あなたも聞いてください。

雅楽の音楽を最近までわたしは、真剣に聞くことがなかった。雅楽の音楽は、古くて新しいのである。そしてこのような音楽が残っているのは日本だけで、韓国や中国には残っていない。どこの国にもこのような音楽は日本以外には残っていない音楽と、わたしは考えていた。

しかしこのような音楽は、シルクロードを超えたアジアに残っている、古くて新しいコスモポリタンな音楽なのである。それは、仏教以前の縄文時代時代が、古くて新しい時代であることと同じかもしれない。

遺伝子研究がさらに進めば、日本人は世界のどこからきたのかが、さらに明かになるであるだろう。

人はどこから来たかは、自分のアイデンテティ発見の旅である。その旅は芭蕉の奥の細道のように、または世阿弥の風姿花伝ように本当の花を探す人生の旅かもしれない。過の歴史を書き換える中国や韓国には古い文化は残っていないだろう。

 

2、        日本の既成のマスコミは、戦前も現在も偏った情報を流している

 

日本の既成のマスコミは、戦前も現在も偏った情報を流している。今の日本のマスコミは、あまりに多く中国や韓国の情報ばかりをマスコミを流し、その結果それ以外の地域の情報をほとんど発信していないと言う偏った情報を発信しているのである。

もうひとつ送られてきたイランに関する知識のクイズであった。その友人は、15問のうち14問が正解であったと書いている。私が相当の時間をかけてこのクイズに答えた結果が、正解が8問であった。最初よく考えないでこのクイズに答えた時は、15問中2問であった。

だから私たちは、中国と韓国を超えたアジアとのつながりを発見するには、自分の努力でそれ以外の国の情報にアクセスしければならないということである。だから、自分の眼に偏光フィルターをつけてそれ以外のアジアが見えるようにしなければならない。このイランに関する知識のクイズをして、あなたの知識のレベルを判定してみてください。

3、人から受けた恩は石に刻み一生忘れるない。

文化を英語で伝えるとともに、人から受けた恩を一生忘れないことが、ビジネスをする人にはなくてはない。稲葉 瀧文さんのブログ恩学に書いておられる、受けた恩を一生忘れないとの言葉は、ビジネスをする人には、なくてはならない。

反対に、危機の時や病気の時に恩をあだで返す人がいることのネガティブな感情も、時には必要です。私もそのように人が危機の時や病気の時にいる人に見せる表情や態度を、わたしも絶対に忘れることはない。

このようなほどほどの悪がいることを知っていないと、それは社会の大きな悪をはぐくむことになってしまう。そしてこのように人から受けた恩は石に刻み一生忘れるないこと、そして恩をあだで返す人を忘れないことがが、繁栄や幸福に人を導くのである。

同時に、反対にこのようなネガティブな感情も必要で、恩をあだで返す人がいることも、忘れてはならないのである。このような人を、普通に付き合っていても、見逃してしまうのです。

稲葉 瀧文さんの恩学の言葉は、ビジネスをする人には、古くて新しい言葉です。誰もが実行していかねばならない言葉があります。以下が、その言葉です。

 

与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め

人に与えた恩は水に流し与えた恩を忘れろ。
見返りを期待するような恩は偽物だ。

他人から受けた恩は石に刻み一生忘れるな。ここまでで十分と云う恩返しは無い。
恩を返すならば死ぬまで返し続けなければならない。

言葉だけではない行為の中から生まれた結果が恩である。

その昔、言葉が無かった時代には、恩で十分にコミュニケーションが取れた。
恩は万国・万人に通ずる人の道の基本である。

日本人としての心の有り方を調べていく内に「恩」という文字に強く惹かれました。人として「生老病死」の一生です。

生まれて、老いて、病気になって、死んでいく中で、他人から受けた思いやり、やさしさ、心づくしが、

どれ程勇気付けられた事か、誰でもが経験している事です。その受けた「恩」を返さなければなりません。

このような恩について言葉は、大学の経営学部でいまも教えていない、ビジネスに不可欠な教えです。

(日本の文化3)日本の経営、664


1、英語と文化の力とチャンス

 

祝箸や和食の日本文化を英語で伝えることが、私たちが日本文化を外国人に伝えることが、ビジネスのチャンスになるのです。チャンスの意味とは、英語を学ぶ延長として、小学校での早期の英語教育の実地や、または英語の資格として高い成績を上げるよりも、英語は、もう一つの新しいビジネスのチャンスになる。

たとえ私たちが通訳の仕事ができたとしても、アメリカ人のように発音できるようになっても、それでもってその人が尊敬されるものではない。外国人からの尊敬をえるものは、語学力でないのである。英語を使うことがチャンスなる、英語の使い方である。

外国人が、その国とその人に敬意を払い、コミュニケーションをとりたくなるのは、あなたがその国の文化を説明できる人であるかどうかであり、文化の力なのである。この文化の力を英語で説明できることが、ビジネスのチャンスになると言う意味です。

そのような文化の力を説明できる人にはチャンスが訪れて、その人は国際人なのである。英語ができて通訳ができても、文化の力を英語で説明できなければ、そのよう人にはチャンスは訪れてこないのである。

文化の説明できる人やそのような商品を扱う人を、外国人は尊敬するのである。人は尊敬できる人や商品から、影響を受けるのです。このような人との交わりが、ハッピーな気持ちにさせてくれるのです。

人との交わりによるコミュニケーション,親切さ、今の瞬間に集中して生きること、[ここにいる]そして危機の状態の体験こそが、ハッピーな状態にさせてくれるものです。2014年1月10日(金)午後11時からスタートした白熱教室、エリザベスダン博士幸福学は教えています

 

コミュニケーションと英語につては、654英語とコミュニケーションに書きましたので、参照ください。

 

 

年賀状に英語教育を楽しんでいますと書かれていた英語教育の専門家である小池真由美さんの英語教育がさらに発展することを期待しています。

 

1、  自分自身と日本の文化のアイデンテティの再発見

 

その事例の英語訳が、千利休による利休箸の美意識です。文化の力を英語で伝える時に、自分のアイデンテティを発見することとその結果としての自分の仕事の再発見することです。これらが、生きる自信を与えてくれます。

自分自身と日本の文化のアイデンテティを再発見していくと、あなたが英語を使う目的が明らかになり、あなたの本当の仕事も発見できるようになるのです。このことを利休箸は、教えてくれます。
そして、チャンスは、日本人のアイデンテティの再発見から国際人が生まれて来るものです。

利休箸と同様、雅楽にはアジア大陸のどこにも残っていない音楽です。中国でなくシルクロードへの郷愁が、日本の雅楽には残っている。その音楽を聴く時、中央アジアへの日本人の懐かしいホームに戻るってきたような感覚と国際人の感覚を呼び戻す音楽です。

2、    わたしの日本の経営

 

日本には昔から尊敬できる経営者がいたのである。わたしも、アメリカ式経営について参考にすることや翻訳をしてきた。しかし、次第にそのような影響を受ける経営についてのアメリカの著作が次第に少なくなってきた。

むしろ、646の「近江商人の理念」について書いたように、日本人の経営を信じる。それは、近江商人は情報によって生きる人であること、一代限りでは成功は及ばないこと、陰徳には陽報が報い、知れず実行していけば、大きな力に守られることを信じる経営をすることである。

アメリカ式経営よりも、わたしは、このような近江商人の日本人の経営の知恵を重視する立場にいる。自分のアイデンテティの発見、祖先の知恵、中央アジアにまでさかのぼる古代の知恵、これらを自分の強みとするビジネスをするのが、わたしの経営です。

これも、利休による利休箸を翻訳する時にチャンスが訪れること同じように、アメリカ式経営よりも日本人の経営にチャンスがあるのが、現代なのである。キャノンが国内生産比率を42%から50%引き上げ、ダイキンは中国から、滋賀工場の生産比率を引きあげる今年は、国内回帰の年なのである。

日本の文化2、新島八重との巡り合い(664)


                                         謹賀新年

 

前回の利休箸で、customer とguestのニュアンスの違いを指摘していただいた山本貴代さんにありがとうございます。

1、        ドラマは、ノンフィクションより影響力が大きい

 

 

これは、八重の巡り合いと言うテーマでの脚本家の山本むつみさんのNHKの講演を何回も聞いての私の要約とコメントである。山本むつみさんは、昨年2013年に放送された八重の桜の脚本を書いた脚本家である。

私は、この番組を一年間見た。その理由は、放送されるまでは、山本八重、結婚後、川崎八重、その後の新島八重については、全く知らなかったのである。もう一つの理由は、幕末の会津から戊辰戦争を経て明治の京都を生きた有名人以外に、興味があったからである。

ドラマの形で伝えたい、と山本むつみさんは言う。ドラマによって、登場人物に視聴者は共感することができるようになるからである。ドラマによって、わたしの感情を揺さぶることができるからである。

わたしにとって、ドラマとしての再現のほうが、一緒に追体験できるし、事例として印象に残るのである。

なぜなら、皮肉にもわたしは、経営に関するノンフィクションについて、読み、書いてきた人間であるからだ。

わたしは、はるかにノンフィクションよりもドラマや物語の形式のほうが、はるかに影響力が大きいことを、文章を書いている人間とて実感している人間であるからだ。多くのノンフィクションの本をいくら多く読むこととは違う。それは、

山本むつみさんが講演の中で、もう二度と会うことのない会津に人の惜別のシーンに胸を詰まらせておられる。私も、総集編「八重の桜」で、会津に人が日本中に散っていき、二度と会えない人の別れに、わたしも胸を打たれる。

2、八重は「あきらめねえ、」と言う。

 

会津戦争の後会津藩の人は、日本中にばらばらに散って行った。いつの時代でも負けた方の人の記録は、いつの時代でものこりにくく、勝った人の記録のみが、残っていくからである。負けた人の記憶は残りにくい。

八重と言う人女性は、ドラマの主役になる価値がある女性である、なぜなら諦めない人であるからだ。山本むつみさんは、八重さんのキーワードは諦めないことである、と言う。綾瀬はるかさんが演ずる、八重は「あきらめねえ、」と言う。

ドラマの主人公の性格は、負けず嫌いの性格で、頑固で苦労を背負い、様々な苦難の壁を乗り越えていくからドラマになるのである。主役に苦労はつきものである。もうひとつの主人公の特徴は、鉄砲を使い、身体能力が高かった人なのである。

当時鉄砲を使うことは、当時の最先端の科学技術であった。

女性で鉄砲をやろうとする人は、理系の女性であって当時では、珍しい女性であった。

もうひとつ八重さんの凄いところは、人に何を言われても、気にしないところである。

自分の使命であると決めたなら、何を言われても恐れない、と言うことを、新島穣が山本覚馬と山本八重の兄弟のことであると伝えている。その強さが、山本覚馬と山本八重の兄弟の魅力なのである。

西島秀周さんが演じた山本覚馬は、目が悪くなってから、負けて勝つと言う事を知っている人間となったのである。京都の復興も同志社の創立も、山本覚馬なしにはあり得なかった。しかし彼は、あえて社会の表に出なかった凄い人なのである。

2、        敗者の会津は、教育の道

 

 

ひとつの家族、ひとつの兄弟が、戦争の前にどのように暮らして、戦争のとき何が起こって、戦後の明治をどのように暮らしていった、かを、山本むつみさんは、大河ドラマ「八重の桜」を描いた。今までの有名人でなく、一家族を中心に描いていた。

明治時代に敗者としての会津人の生き方は、教育の道にかかわることであった。山川一族と山本兄弟は、教育に生きたのである。本当は明治と言う新しい時代を切り開いたのは、敗れた側の会津の人かもしれないのである。

新島八重は、負けても、負けても、立ちあがる人であった。彼らは自分の戦友であり、自分のためでなく、みんなのために生きて、肩を押してくれた人なのだ、と山本むつみさんは語っている。新島穣と新島八重は、私立大学を作り、国に左右されない人を教育によって創ろうとした兄弟である。

新島錠は、もともと体があまり丈夫でなく、八重は結婚生活の三分の一の時間を、穣の看護にその時間を使った。八重は日清戦争の時には特使看護婦となって、広島の病院に看護のために行った。

八重の好奇心は、彼女がワッフルやパイを作り上げた。そして洋服を着た。これらが明治になってできたのは八重の子供の時から受けた会津の高いレベルの教育があったからである。教育が、山本八重を創ったのである。

3、      外国人の敬意のまなざしと私たちの未来への取り組み

 

 

山本八重は、諦めない人であること、何を言われても気にしない性格、と新島穣からの愛を受けた人である。そして、山本覚馬は、会津が負けて、そして目が悪くなった2つの困難の中で、明治時代になって、負けて勝つことを実証した人である。

八重は、この二人に大きく影響を受けた。わたしは山本八重の、諦めない人であることと山本覚馬の負けて勝つことを実証した彼の生涯をこのドラマ八重の桜から未来のために学んだ。覚馬と八重は、わたし達が未来に生きるために肩を押してくれる人たちでもある。

そして、山本覚馬という兄の八重への影響などについても、ノンフィクションの形でなく、ドラマの形であったからこそ、伝えることができたものであったことも、改めて物語の有効性を学んだ。

このように過去のみんなのために生きた覚馬と八重を再び現在に生き返らせることは、敗者から明治を見直すことであり、日本の文化の再発見することでもあり、未来に生きるためにわたしたちのアイデンテティの発見の旅でもあるだろう。

自分自身と日本の文化のアイデンテティの再発見から、日本人に対する外国人からの敬意のまなざしを受けるために、私たちの新年の未来への取り組が、すべてが始まるのです。

このような脚本を書かれた山本むつみさん、山本八重を演じた綾瀬はるかさん、山本覚馬を演じた西島秀周、新島穣を演じたオダギリジョー他の俳優の人達、このようなドラマをありがとう。