Archive for 4月, 2015

ライフサイクル 691 ライフサイクルの判断が人生を決める


1、そのパラアス リートの人を心より応援する。

私が変化の兆しを感じたのは先週の木曜日で、マツダの株が上がり始めたことを感じたことから、始まる。それは、自分の先見力は正しいのか、どうか、を確かめるためだった。

先日メールを受け取ったYYさんが、私が一緒にプールで練習している(=教えてもらってる)人は、パラアス リートで片足しかありませんと書かれていた。

わたしの友人が、そのようになってホーキンズが宇宙と物理の業績を上げたことを書いて励ましてくれたことは、二度と忘れない。 そのパラアス リートの人を心より応援します。

私が中学生の時、足の悪いMさんがいつも株式のチャートを書いていて、いつもそのチャートの動きについて話し合っていたことが、わたしの相場の原点となっている。Mさんは、その当時どこにも就職できなかった。

Mさんは、足の悪いことを決して言わなかった。彼は自分の相場の先見力に賭けて生きていた。本宮ひろしさんのマンガ、「男一匹ガキ大将」の主人公のように、相場に生きたMさんの足を引きづって歩き方は、脳裏に焼き付いている。

2、塾産業

新たなる新規分野の参入のための直観力を鍛えていくことは、すでに起こっている変化を、繁盛店クリニックとすることによって業種のライフサイクルを見ることである。すでに起こっている変化を確認することは、コンサルタント、企業家、そして投資家の基本である。

わたしは量販店が小売店を吸収していく時にその影響として生まれた船井総研に入社した。その時その会社の社員数は、数十人の時であった。この会社は量販店の発展ともに生まれた。

一方現在の大津の中心は、大津から膳所に移っていて、そこでの中心産業はスーパーから幼稚園児から小学低学年までを対象とする英語と音楽のヤマハ音楽教室のような塾産業に量販店から移っている。

コンサルタントの視点では、幼稚園から、小学校低学年までの英才教育の学習塾に人が集まっている場所に、熱気を感じる。船井幸雄さんの繁盛店クリニックの精神が、店舗やチラシを見る時のわたしの原点になっている。学校での教育ではない、塾産業が成長分野なのである。

3、1982年から現在までの33年間上昇してきたNYダウ 

ところで、「667為替の歴史的大転換」をエース証券の森川雅仁さんが来られた時に書いたように、森川さんが今週来られて、1949年から現在までの日経平均と為替の歴史のチャートについての説明を、その50年サイクルの日経平均のチャートを見ながら聞いた。

1982年から現在までの33年間上昇してきたNYダウが、金利上昇と共に下落に向かう可能性があり、同時に一方日経平均はその時多少の影響があっても上昇を続ける可能性がある、との話であった。

アメリカのNYダウは、1982年ころから上昇が現在に至るまで続いているが、金利の上昇と共に26周週のチャートが下がりだしていく可能性がある。33年年間続いたア メリカ株の下がる危険性がある、が、一方日本の株やリートは、少し影響があるが、アメリカに取って替って上昇していく、可能性がある、との趣旨であった。

コンサルタントも、アメリカ株、日本株、そしてある業種の成長曲線を知ることが仕事の第一歩である。そのためには、5年程度の経済サイクル、30年程度の業種のサイクル、そして国の動向を見るにはこの50年サイクルなどの3つのサイクルを見ていく必要があることを、改めて確認した。

「日欧の緩和マネーは米国利上げのショックを和らげる役割を果たしそうだ。余剰マネーの供給源が米国から日欧にシフトすれば、米国緩和マネーの抜けた穴を埋めてくれる。」東洋経済4月25日号より

このように、日経ダウがその時上昇して、一方反対にNYダウが下降するシナリオも考えておく必要がある。そのためにはアメリカの景気がピークを打っている兆しが出てきていないのか?

アメリカの企業の景気観はどのようになっているのか?ドル円レートで円高の兆しが出てきていないのか?を注意深く観察していかねばならない。 30年程度の業種のサイクルとしては、量販店の時代から熟産業の時代に完全に移行した。幼稚園児から小学低学年までの英才教育やヤマハの同年齢を対象にした音楽と英語の教室に、わたしも繁盛店の熱気を感じる。

熟産業の時代は、一般的な教育の時代ではない。同時に保険でのPTとOTが機能していないので、コンビニを廃業した30坪程度でのマッサージの多店舗展開や高年齢者向けの分野も伸びるだろう。 これを先見力とも言うが、それが人生を切り開いていく。

問題は、NYダウが、金利の上昇の時に、どのような動きをするかを、注目していく。 コンサルタントや投資家で大切なのは、成長分野がどこにあるのかを感じる力であるだろう。

そして3つのサイクル、5年程度の景気循環サイクル、30年程度のサイクルである量販店の時代から熟産業への移行、国家の栄枯衰退を左右する50年サイクル、これら3つのサイクルを熟知することが、人生の繁栄に関係してくる。

なぜなら、30年を超えて成長を続ける産業など、ないからだ。 わたしも50年サイクルについては、ほとんど考慮していなかった。私がMさんと一緒に毎週チャートの勉強をしていた高校や大学の時代、Mさんと株式チャート集を見ても、この戦後から始まるこのチャートを入手できなかった。

1932年から50年後は1982年までのサイクルで、1982から50年後は2032年後である。 もしも33年間上昇してきているNYダウが下降しても、日経平均が上昇するならば、ほとんどの人が信じでいない日本の経済の大転換が生まれるか可能性がある。

合掌、福島儀重さんが亡くなったとの連絡を箕浦さんより受け取りました。福島さんからの今年の年賀には「久しぶりに会いたいね!」と書いてあったのに、残念です。クラブやスナックから最近は居酒屋で飲んでいたことが夢のようです。ご冥福をお祈りします。

船井幸雄、3、 690 答えは現場にある


1、新しい技術やビジネスの種は、案外自分の近くに或るもの

鶯の谷渡りの経営と言う言葉は、同じくTさんが使われた言葉です。

私が指摘している問題のように、その企業に余裕がないのか、どうか、何年経過してもそこでは、儲かる分野を探し続ける経営をしていることなのである。この原因は、企業規模とも関係ない。

儲かる分野ばかりを探し続ける経営をしている企業では余裕がなくて、そこでは社員の独自性や個性を生かしにくい。

新しい技術やビジネスの種は、案外自分の近くに或るもの。面白おかしく仕事をすることで、感度は最大化される。」 「面白おかしく堀場雅夫」著より、

新しい技術やビジネスの種は、案外自分の近くに或るもの という事実があるにもにもかかわらず、仕事の感度が研ぎ澄まされていないことである。原因としては、そのような職場では、楽しく仕事がされていないと言う事実であるだろう。そこでは、仕事がたのしくもなく、鶯の谷渡りの経営が、そこでは行われているとかんがえられる。

 今している仕事が好きてない人や企業は、この鶯の谷渡りの経営をしているかどうかである。このような経営をしている二世経営者が多い。 なぜなら「新しい技術やビジネスの種は、案外自分の近くに或るもの、 にもかかわらず、仕事の感度が研ぎ澄まさないのは、その職場では、楽しく仕事 がされていない。」

面白おかしく堀場雅夫」著より、

社員が楽しく仕事がされていない組織であるか、または楽しく仕事をしていない人であるかどうか、がそこにいることが、推測できる。そして、この鶯の谷渡りの経営がおこなわれていることも、表裏一体かもしれない、ことを船井総研は、教えてくれている。

2、船井幸雄さんの残したもの

船井幸雄さんが残した言葉で、わたしの忘れられない言葉がある。それは、過去オール善である。この言葉は、プラス発想と共に人生と仕事を肯定的に見るようにしてくれて、仕事で新しいものに取り組もうとする時に、今でも役に立っている。

もう一つ残していったのは、繁盛店クリニックである。コンサルタントになって最初の頃は、国内の地域別繁盛店クリニックをした。最初は、関西の繁盛店クリニックで、次は関東地区の繁盛店クリニックをした。

やがてアメリカの繁盛店クリニックをして、アメリカのロスアンジェルス地区で何回もそれを実地して、やがて中西部やニューヨークの繁盛店クリニックもした。

答えは、現場にあるとの考えから、繁盛店クリニックの大切さである。 船井幸雄さんは、流通革命の時に、一番店商品づくりと一番店商法を打ち出して、それをコンサルタントのビジネスにした。

答えは常に現場にあるから、競合店調査をしたうえで、長らく主力商品づくりをしていた。マツダは、車の一番商品づくりを始めたようである。 そう、ビジネスやスポーツにおいての競争において、ランチェスターの原理は、弱者の原理として、いつまでも有効なのである。

この事例としてマツダに注目していく。 何かで一番を作り上げる、そこから仕事も人生もすべてが始まっていく。もう一つは、成長期にある分野が入ろうとしているのか、ライフサイクルのポジションの判断である。

ライフサイクルの判断は、新規マーケットへの参入の有効性の判断をすることであり、投資での判断の基本となる。 ライフサイクルが、成長期に入ろうとしているのか、どうかの判断ができなければ、その努力は徒労に終わってしまうから、すべてに優先する。

そのためには、小さなアイデアが浮かんできた時はいつもノートに書き留めていき、売却の判断、新たなる新規分野の参入のための直観力を鍛えていき、小さな体験を重ねていくのである。

 

船井幸雄、2、 690 鶯の谷渡りの経営


1、積極的に競争相手を研究しなくなる

経営コンサルタントの一つの危険性は、商品からは離れてしまうことかもしれない。経営学者のコトラ―は、「ソニーをはじめとする日本企業はライバルの成長をどこでどのように眺めていたのでしょうか。

この点は、私にとっては非常に不可解です。なぜ日本企業は変わろうとし始めなかったのか。なぜ彼らは積極的に競合相手を研究しなかったのか 」 と指摘している。

ソニーの問題は外国のライバル企業の成長に傍観していたように、または大塚家具の問題はライバルのイケヤやニトリの成長であったのであるが、どちらもマスコミは指摘してない。

同じように船井幸雄さんから始まる船井総研のコンサルティングの問題も、外資企業にコンサルティングの主導権が替ったことなのである。その企業の問題は、取引先が数年単位で替っていることにある。

そしてコンサルティング会社も、そのライバルを競争相手として研究を疎かにしたことなのであるだろう。 進出する分野は、自社の主力分に関連する事が最大の条件だと記憶しています、とBSアクアの小島社長が言われている。

問題は、堀場雅夫著の「面白おかしく」で言われているような労働が、そこでは、行われていないことが容易に推測できるのである。

2、面白く仕事をしていれば、魅惑の青い鳥が見つかる 

その労働とは、上記の本で指摘されているような「新しい技術やビジネスの種は、案外自分の近くに或るもの。面白おかしく仕事をすることで、感度は最大化される。」このように、自分のマーケットは、対手の場合、近くにあるのである。

しかし問題は、その企業に余裕がないのか、どうか、何年が経過したとしても、そこでは、儲かる分野を探し続けていく経営をしていることなのである。この原因は、企業規模は関係ない。 このような儲かる分野を探し続けている企業は、オカルトに逃げ込んだ人の結末と奇妙に相関関係あるのかもしれない。

その原因は、そこでは、違った意見を言う人がいない組織となってしまっているからだろう。 自分と違う意見を言うような幹部を排除し続ける組織となっているとするならば、企業は何年経過しても同じ行動を続けるかもしれない。

それは、頭の悪い右脳と左脳の両方を使わないような人を後継者にした企業の、結末かもしれない。残念ながら、これを企業と自分にとっての戒めとすべきである。

自分と違う意見を言うような幹部を排除し続けてきた組織にあっては、「そこでは、とは学のTさんの言葉ですある鶯の谷渡りの経営を続けていく経営の道しか残されていない企業の危険性がある。その道は、オカルトに逃げ込んだ人の後半の人生と不思議と似通ってきている。

「」は、とは学のTさんの言葉です。

外国に進出することもなく、ともに成長し続ける企業もいない組織かもしれない。

「船井総研は、自分のビジネスモデルに合う客を探して、鶯の谷渡りをしているように思えます。今後も、このビジネスモデルを踏襲するならば、韓国・中国・東南アジアへとシフトしていくべきですね。」

現在の幹部を見るならば、外国に進出することは難しい。科学的コンサルティング手法を生み出すことも難しい、資産管理に特化した会社を成功させることも難しい、共に成長していくと言う方方法の企業もあるのだろうか?

「本当ならば、科学的コンサルティング手法を生み出すか、資産管理に特化した別会社を成功させるか、大きくなった会社の要望を汲み取り、その会社とともに、成長していくという方法もあったはずです。」

わたしも、関係会社と共に成長していく手法と科学的コンサルティング手法をつくりあげることに全力を尽そうと考えたときもあったが、それはもう過ぎ去った過去のこと。タイトルのとおり、 現実は鶯の谷渡りの経営を続けるしかないのだろう。

船井幸雄さんの本が、最後は何処に入ってしまったのか、と同様に、 鶯の谷渡りをいつまでもしている企業の足跡は、自分と若い人の貴重な教訓にすることであるのだろう。これは、貴重な自分と若い世代と企業の戒めとなるのである。

3、都市政策と選択的な移民政策を提唱

地方選挙が近づいている。フィリップコトラーが言うように、国よりも都市が重要になってきている。そして選択的な移民政策の採用が、これからの時代であると、考える。

都市政策と選択的な移民政策を提唱している立候補者は、いない。選挙で誰を入れるか,迷う。東京一極集中は、東京から富山までの新幹線の開通で、これから5年は、さらにひどくなる。

船井幸雄、1 690 残していったもの


狐狸庵生徒、感想
船井幸雄さんは経営コンサルタント会社を立ち上げ、大きく育て上げた経営者で
すが、晩年はオカルト的な事象にもかなり傾倒していたようです。
船井幸雄さんの著作を何冊か読んだことはありますが、読んでいる最中は「なる
ほど」と感じることが多くても、読後に残るものは少ない印象を持って いま
す。船井幸雄さんのビジョンついては「ファン・信者」が多い反面、「アンチ船
井」も多く、世の中での評価がずいぶんと分かれているようです。
今後、船井幸雄さんの業績について「成功例」、「失敗例」、「会社を成長させ
たプロセス」、「晩年はなぜオカルトに傾倒したか」などについて冷静 に
レビューする出版物が出てくることを望んでいるところです。

4月6日

1.地方の経営者を相手とした一番店戦略

船井幸雄さんとは、何者だったのか?を一周忌に検証することは、日本の中小企業経営論や社長学、そして自営業を目指す人には、意義がある。  船井幸雄の時代とは、何の時代だったのか?それは、1995年頃までの時代であった。

その時代までに成功した者は、本当は日本のどこにいたのか?である。その時代、多くの成功者は、実は地方に、彼らはいたのである。 船井幸雄は、そのような地方の経営者を相手として仕事をしたのである。

その洞察力は、直感だったのか、それとも偶然なのは、わからない。 彼は、東京に出ていった人よりも、地方で資産を蓄えた人を相手にしたのである。一方現在、東京は、そして地方はどうなっているのか?地方は過疎になっている。富山まで新幹線が開通して、ますます東京集中が進み、関西は地盤低下が著しい時代がこれからも5年は続く。

地方で資産を蓄えた人に対して、チェーンストア理論に対抗する理論としての、一番店戦略を彼は主張した。一番店戦略に基づく経営指導を、わたしも、その当時していて、日本中に経営指導に回っていた。

「」は、とは学のTさんの言葉です。「そういう時代が船井幸雄を生んだのかもしれません。」「船井幸雄は、バブル前までは、中小企業経営者全般の「心の支え」になっていたのですが、」

「先日から、ピケティの白熱教室を視ているのですが、今は、労働所得よりも資産運用の時代に突入しています。」 「自らが働くことよりも、「情報強者」になって、他人に働いてもらう時代ということでしょうね。」

この他人に働いてもらう人間になるためには、40代の時に仕事を切り替えることである。定型的な作業労働は他の人にしてもらい、自分はホワイトカラーエグゼンプションをして頭脳労働を、一日2,3時間の仕事をするのである。

定型的な作業労働から頭脳労働への切り替えが、40歳代である。 そして現代は、資産運用の仕事をする時代である。ピケティさんの本を読んで、それを実践するのである。

それは船井さんが活躍した1980年代と1990年以降の違いをよく理解して、資産運用の仕事に切り替えが重要である。 船井幸雄さんの経営は、喧嘩に強いと言う一番店戦略であったランチェスター理論であった。

以外のコンサルティング手法は、外資系コンサルタント会社に引き継がれていった。 船井幸雄さんと関係があった人は、それぞれが、何を継承していくかが、問われている。

2、商品づくり、または仕組みづくり、そして人間論、

 「」は、小島博の視点の小島社長の言葉です。「生い立ち」がその方の視点の根幹にあると考えています。商品に触れないで社会に出てビジネスに入る方は、仕組みからビジネスモデルを組み立てようと考えるようです。

人と接する事で生活してきた方は、人との繋がりをビジネスを組み立てる時、重きを置いて仕事を組み立てます。」 船井さんは、大本教に若い時に影響を受けたようです。

バブルが終わってからの後半のその人生は、商品でも仕組みづくりでもなくオカルトの世界に入っていってしまった。わたしの20歳代の時は、薬剤師と共に、家庭用品と日用品の商品分析をしていた。このスタンスは、一生変わらないかもしれません。

船井流の人間学は、深まるのでなく、オカルトの世界に進みました。そうでなく、商品づくりか、または仕事の仕組みづくりに若い人が取り組むことを期待している。 わたしは、実験を繰り返しながら、商品から離れることはできません。

船井幸雄さんの後のコンサルティングの流れ、を、よく理解して、誰もが情報の強者となっていくことだろう。加えて商品づくり、または仕組みづくりに、それぞれの立場から若い人が取り組んでいくことを期待して、船井幸雄さんの後のコンサルティングの流れを自分のものにしてもらいたいものです。

膳所高校の同窓生であった藤原昌一君が2月中旬に亡くなられ、心よりご冥福をお祈りします。