Archive for 5月, 2015

世代と個人692-3、楽しい思い出は胡蝶の夢の中で


胡蝶の夢の中で

 

 

とは学のTさんから由紀さおりの「生きがい」の歌を紹介してもらいました。

山上路夫さんのいきがいの詩の言葉は、さすが詩人の言葉です。「ああー、わたしはあなたと生きているのいつの日にも あなたと別れた今でもわたしはあなたといきているのいつの日もいきているのいつの日もいきているの」

http://www.uta-net.com/movie/36735/

お千佳さんが浮かんでくるのは、着物姿とハスキーな声・・、人は、このようなせつなくて、そして楽しい思い出を作っていけばよい、 誰かと生きていたあの時を、写真はよみがえらせてくれる。

蘇らせるのは、荘子の、胡蝶の夢の中で、夢が現実となり、現実が夢となっていく

2、シューベルトのピアノ五重奏、鱒 

なぜだか久しぶりに今聞いている音楽は、シューベルトのピアノ五重奏、鱒。シューベルトのこの曲を聴いていると、アルプスの山と渓流の情景が浮かんでくる。

音楽も情景を蘇らせる。 シューベルトの歌はディートリッヒ・フィッシャーディースカウの歌を思い出させてくれる。彼のバリトンの歌も、死んでも永遠に消えていくことはない。

テノール歌手、山枡信明

「生物は原初より生と死のサイクルを繰り返しつつ命を引き継ぎ、それは果てしなく未来に続く。鳥たちは繁殖の「愛の歌」を歌い続ける。

人間の音楽は複雑化、肥大化した。それでもそこにまがう事のない真実、人の魂を揺さぶる力が秘められているとしたら、人間の音楽も悠久の生命の流れを汲んで、「永遠」を感じさせる「愛の歌」であるからであろう。 」

愛の歌があれば、音楽の前では時は止まるからなのである。 「写真が、昔の時間を取り戻して、過去を楽しませてくれるという意味では、俳句も写真も、同じですね。言葉と画像の違いだけです。」

感性がなくて、シャッターを押すことができても、空間を切り取る作品には、ならない。言葉を削り、磨いていく文章作りも、時々必要になってくる。 そのためには、詩人の感性がなくてはならない。

シューベルトのピアノ五重奏、鱒には、川の水がテーマ、同様に、わたしの文章は、最初「夜の川」とタイトルをしました。

 

 

世代と個人692-2、どこかで


1、今なおどこかで生きているかもしれません 

沢登住人先生から送っていただいた著作、「よしと童話集」と「詩集}を読んだら、同じような以下の詩集のような言葉が浮かんできた。「よしと童話集」の最期の童謡、貧乏なお姫様の最期の文章は、今なおどこかで生きているかもしれません、で終わっている。

その文章は、私がまだ生まれていない昭和20年11月作成と記入されていて、私を前世にタイムスリップさせてくれるようだ。同時に30年前にタイムスリップさせてくれる。

2、お千佳さん

 

偶然写真集を見ていたら、5枚のお千佳さんの写真を見つけた。その写真は、なぜか懐かしさがこみ上げてきて、私を昭和の時代にタイムスリップさせていく。

 

それらの写真は、多分30年前の写真であって、彼女は、その当時北新地のバ―で働いていた。

その当時いつも彼女がいるから、わたしはそのバーに飲みに行った。

 

梅田の居酒屋でなくそのバーに飲みに行ったのは、新地のそのバーに彼女がいたからだった。

着物を着た彼女の写真を今見ていても、今でも彼女は出会うことのないような面影の女性である。

 

その時彼女にはすでに子供がいて、二枚は彼女が子供と一緒の写真がある。

その声は、ハスキーだった。彼女の事情を知った上で、新地のそのバーに行った。

 

いまも彼女は、北新地か、それとも有線が流れているいずこかの場所で、どこかで生きているのだろうか?

 

忘れられない、せつない思い出でばかり、のひと(女性)であった。

彼女は、やはり「大阪しぐれ、」のような有線の歌が流れる北浜の堂島のような、ネオンの深い川のどこかに、今も住んでいるのだろうか?

 

そんな昭和の遠い時代の尋ね人は、どこをさがせばよいのだろうか?

そんな昭和の遠い時代の尋ね人は、どこをさがせばよいのだろうか?

 

彼女は、幸せに生きているのだろうか?今もネオンに輝く蛍のように、どこかで生きているのだろうか?お千佳さんは、今も大阪のどこかに無事に生きているのだろうか?今なおどこかで生きているかもわからない。

 

 

 

 

世代と個人692-1、引き継ぐ者


沢登澄人先生から先日著書の「詩集」と「よしと童話集」を送っていただきました。それらの本についてのコメントでなくて、沢登澄人先生の著作から、以下は私が引き継いだ内容である。 

1、引き継ぐ者

本当の友達の関係であるならは、その関係は家族や子供へと引き継がれていくのである。しかし現実には殆どの人は引き継ぐものとしての関係に注意を払わないから、親から子供にその関係は一代限りの関係として引き継がれていかない。

本当の友達の関係であるならは、その関係を自分の一代限りの損得の関係の中にとどめようとはしない。反対にそのような関係が、続いていくものでない仕事の関係をしていくとするなら、仕事の業界の関係の付き合いを続けていく関係などであって、それは滑稽なものである。

現実にはそのような関係しかない人は、いる。むしろ多くの人はその関係が引き継がれていくことなど、考えることなく生きて、そして人生の舞台から去っていく人がいる。

2、死んでしまうことはない

本当の関係があるならば、その関係は、次の世代にも引き継がれていくべきものであって、ある人はそのためにこそ仕事をするのである。この意識があるからこそ、人は仕事をするのである。

このような意識になって、人は改めて本当の仕事をすることができるようになっている。同時に引き継ぐ相手が誰なのか、が見えてくるようになる。反対に、人はこのような意識にならない限り、若い人と一緒に仕事をすることが漠然とよいことだと思う錯覚に陥ってしまい、いつまでも同じ仕事をしていく人になっていくのである。

引き継ぐ者になる意味は、本当の友達の関係を持つ人になることであって、同時に自分でしかできない仕事に取り組む人になるのである。代替できる仕事をしていては、自分の仕事は何なのか、又は芸術は自分にとって何なのか?などを発見できないままで一生を終わってしまうことだろう。

沢登澄人著「宇宙超出論」より

「永遠、無限を生きる真、善、美の発見、実践、創造に努めるならば,心身のように結局死んでしまうことは決してありません。 

肉体は死んでもその真善美と共に、あなたは永遠、無限を生きることができます。そうすれば、あなたの人生は、あなたが真善美を求めて今何かを始めることは、決してむなしくはありません。」 

 

ライフサイクル 691 ―3 引き継ぐものと俳句


1、本当の友達の関係であるなら、その関係は次の世代にと引き継がれる。

 

本当の友達の関係あるならば、その関係は、相手からその子供へと引き継がれていくものです。 反対にそのような関係が、続いていくものでない仕事の関係であるならば、ある業界の関係の付き合いを続ける、関係など滑稽なものである。

一生そのような関係しかない人も、いる。 本当の関係であるならば、次の世代にも引き継がれていくべきものなのである。

 

2、感動する心

 

桜の花の季節から、今は緑が一段と鮮やかになってきる季節である。

神田昭次さんから送ってもらった歌は、「」である。

 

「先は雪周山街道引き返す

盆栽を運ぶに20人がかり、」

 

そこには、小学生であるとのご指摘の長石さんの作品

「冬夜空星がさけんでいるようだ。」作品も、掲載されていた。

 

わたしは、子供のころから絵や写真を趣味にしていたことから、上記の3つのような情景が浮かんでくるような絵画的な詩が好きだ。併せて、詩心には、年齢は関係ないことも、小学生の長石さんの感動する心が、教えてくれている。

 

写真を写す時、感じるのは、ある日のある時間に咲いた花の色は、まさしく一期一会の出会いでである。一期一会の出会いでもって、作品のどこに感動するか、の視点を持っていないと、その写真は、観光地の絵ハガキのような作品になってしまう。

 

俳句における名村早智子さんのような先生を持たないと、人は写真においてもそのような視点がない作品となってしまう。そのような先生を持たない限り、その詩心を育んでいくことは困難になる。

 

3、ほかの人には見えない視点

ノンフィクションの文章ばかりを読んで、または書いていると、表現力と感動する視点を忘れてしまう危険性があることを忘れてしまう。そして経営においても、表現力と感動があるからこそ、個性と独自性が生まれてくるのである。

 

個性と独自性を生かすためには、感動する心とほかの人には見えない視点の切り口が必要。同時にドローンのような無人機やロボットがこれから普及してくる昨今において、人は他の人に代替されるような仕事をしてはいけないことを意味する。

 

人に代替されないことをするのである。これからは、創造的な英知をいかに仕事や趣味に発揮することが、これからの仕事は要求されてくるだろう。加えて俳句との先生との師弟関係のような人間関係を、年齢、国籍に関係なく続けていけていく。

 

そうしていくならば、いつまでも人は成長できるものであることを、神田さんから送っていただいた作品集は、わたしに教えてくれる。

人はいくつであっても、感動する心とほかの人が思いつかないような視点を持つことは、経営の原点でもある。そのためには、対象のある部分に焦点を定めて、相手や対象を見るようにしていくのである。

 

ライフサイクル 691 ―2 生と死


1,フラッシュバックのように

 

福島儀重さんが亡くなって、彼が京都の北山通りにオープンした衣料品の店舗を見に行ったことや、一緒に京都の京阪ホテルでいつも待ち合わせて、祇園までタクシーで行った。四条大和大路のクラブやしのぶというスナックに行った。

 

そして後期には居酒屋にのみに行っていた。ことが、映画のフラッシュバックのように鮮やかに今も思い出す。

京都で飲みに行く時は、いつも福島さんと一緒だった。でも本当は、とても繊細な人であった。

 

また,知識さんが経営コンサルタントの事務所を持っていたころ、そこでその事務所に午後3時以降に立ち寄っていて、そこのソファで缶ビールを一緒に飲んでいたソファを思い出す。

 

また西尾さんとは一緒に山を登った。彼が比良の山を登り始めて、多分すでにその時心臓の調子が悪かったのであるだろう、突然歩けなくなった時のことなど、今もそのシーンは、鮮やかに蘇る。

 

そして不思議に彼が山で死ぬ数日前、に、不思議に電話をしてくれたことは、亡くなる前の挨拶の電話であったことを、今も覚えている。その電話は、サヨナラのあいさつであった。

 

もう彼らと二度と会うことはないが、福島さん、知識さん、そして西尾さんは思い出してあげることによって、彼らは、わたしの中でいつも生きていく。

 

2、「ジェフベックのlive in toTokyo 2014

 

私が撮った数枚の写真、一枚の写真は、琵琶湖だけが白く映り、後は黒くなった写真、もう一枚は、午後に京都の植物園で写したヒマワリの写真には、上記のような写真と同じ何か、プラスのエネルギーがあることが、改めてわかった。

 

前回はNYダウが下がる可能性があることを先見力として書いたが、その通りの展開となってきて、自分の先見力を確認することとなった。多くの人はそう考えないが、短期的にはアメリカの経済の上昇曲線が下降曲線になって、

一方日本の経済は多少影響を受けた後で、上昇曲線を続ける可能性がある。

 

「ジェフベックのlive in toTokyo 2014」と言うwowowの番組を見た。ジェフベックのロックギターの音楽は、亡くなった福島さん、知識さん、そして西尾さんの無言のシーンから、わたしを、生きるエネルギーに再び戻した。

 

ジェフベックのロックギターの音楽は、人間を生きるエネルギーに満たしていく。このような音のエネルギーには、音楽の分野にとらわれていては、浴びることができない。

ある種の絵画や写真は、エネルギーを放射していく。

同じように30歳の時に購入したレコード、豊田勇造の拾得ライブ「走れアルマジロ」をジェフベックのギターを聞いた後で聞く。

 

「豊田勇造

ジェフベックが来なかった雨の丸山音楽堂

 

ジェフベックが来なかった木曜日

おれは震えていた雨の丸山音楽堂

ジェフベックが来なかった木曜日

おれは震えていた雨の丸山音楽堂」

 

懸命にやると奇跡が起こる

人生は どんなに苦しいことがあっても しかも 生きるに値する  綾羽一紀