世代と個人692-2、どこかで


1、今なおどこかで生きているかもしれません 

沢登住人先生から送っていただいた著作、「よしと童話集」と「詩集}を読んだら、同じような以下の詩集のような言葉が浮かんできた。「よしと童話集」の最期の童謡、貧乏なお姫様の最期の文章は、今なおどこかで生きているかもしれません、で終わっている。

その文章は、私がまだ生まれていない昭和20年11月作成と記入されていて、私を前世にタイムスリップさせてくれるようだ。同時に30年前にタイムスリップさせてくれる。

2、お千佳さん

 

偶然写真集を見ていたら、5枚のお千佳さんの写真を見つけた。その写真は、なぜか懐かしさがこみ上げてきて、私を昭和の時代にタイムスリップさせていく。

 

それらの写真は、多分30年前の写真であって、彼女は、その当時北新地のバ―で働いていた。

その当時いつも彼女がいるから、わたしはそのバーに飲みに行った。

 

梅田の居酒屋でなくそのバーに飲みに行ったのは、新地のそのバーに彼女がいたからだった。

着物を着た彼女の写真を今見ていても、今でも彼女は出会うことのないような面影の女性である。

 

その時彼女にはすでに子供がいて、二枚は彼女が子供と一緒の写真がある。

その声は、ハスキーだった。彼女の事情を知った上で、新地のそのバーに行った。

 

いまも彼女は、北新地か、それとも有線が流れているいずこかの場所で、どこかで生きているのだろうか?

 

忘れられない、せつない思い出でばかり、のひと(女性)であった。

彼女は、やはり「大阪しぐれ、」のような有線の歌が流れる北浜の堂島のような、ネオンの深い川のどこかに、今も住んでいるのだろうか?

 

そんな昭和の遠い時代の尋ね人は、どこをさがせばよいのだろうか?

そんな昭和の遠い時代の尋ね人は、どこをさがせばよいのだろうか?

 

彼女は、幸せに生きているのだろうか?今もネオンに輝く蛍のように、どこかで生きているのだろうか?お千佳さんは、今も大阪のどこかに無事に生きているのだろうか?今なおどこかで生きているかもわからない。

 

 

 

 

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