Archive for 7月, 2015

アイデア、695-1直観力


  1. チョコレートドーナツ

チョコレートドーナツと言うタイトルの映画を偶然見た。その映画は、私が宇宙超出の機関紙を読んだ後に見た。その機関誌にはある人は、安倍政権を批判する文章を書いている。

 

私の経験として、経営コンサルタントの経験から、人を批判するような文章を書くことは嫌いである。一方、チョコレートドーナツと言うタイトルの映画は、そのような大衆の偏見についての映画である。

 

そのゲイカップルの主人公の二人は、同性愛者でとその世話をした子供マルコは、法が許さなくても、奇跡的に出会い、深い愛で結ばれている。しかし大衆は、偏見でその3人を見る、実話に基づいた話である。

 

ある人は安倍政権を批判する。しかし、大衆こそが偏見で人を見る、と言う映画のほうが、印象に残る。なぜなら、わたしは、弱者こそが、達成者になれると考えている。

2,直感力

そして弱者であればこそ、直感力が出てくる人であることを信じて、行動する。

アイデアは、考えている中で突然訪れる。だからアイデアは思い浮かんでだ時には、いつもノートにすぐに書きとめることを、私の習慣にしている。

 

6月22日にあるアイデが出てきたことを、ノートに書き留めていた。それは、あるファンドの事が突然浮かんできたことである。その書き留めていた

ファンドを昨日23日に、買い付けた。このような突然アイデアが浮かんでき

た時は、必ずノートに書いておくようにしている。これは、坂井三郎さんの空戦記録から、自分のものにしている。

 

芸術、出会いと感動694ー4


1、芸術的思惟と科学的思惟

芸術的思惟と科学的思惟がある、と沢登先生は言う。 「夏の思い出、」「いつかある日」「この野原いっぱい」などの歌を聞きながら 書いている。

このような歌は、マインドコントロールのためのCDよりも、またはそのよう な書物よりも、心を整えてくれる役割を果たす。それゆえ、書物よりも、心を 安らかにしてくれる音楽がある。

その音楽の効用は、芸術的思惟とも違う。また一方科学的思惟とも少し違う。 一方冥王星の写真を送ってきた探査機「ニュー・ホライズンズ」が撮影し た冥王星の最初の画像が衝撃を与える。

だから、わたしに、毎日使っている音楽的効用と科学技術の2つが、生活に最 も影響を与えている。どちらも、なくてはならないものである。バートランド ラッセルの本を読んで、内面的に考えることには、それほど重きを置かなくな った。

2、 音楽、詩、そして技術

それは、オーディオに興味を持ったのは、技術を自分で使い、音楽を楽しむた めであったように、音楽を楽しむためであると同時に、精神のコントロールす るための道具として利用するためでもある。

一方「ニュー・ホライズンズ」の写真は、衝撃を与える。 ニュー・ホライズンズンズは、これからどこまで宇宙を飛んでいくので ろうか?冥王星の写真写は、太陽系に関する科学情報を新たなものにし ていく。

また音楽、詩、そして技術が、視野を広め感情を豊かなものへと、し ていく。

歌、「この広い野原いっぱい、」のように

「この広い野原いっぱい 咲く花を

ひとつ残らず あなたにあげる

赤いリボンの 花束にして

この広い夜空いっぱい 咲く星を

ひとつ残らず あなたにあげる

虹にかがやく ガラスにつめて

この広い海いっぱい 咲く船を ひとつ残らず

あなたにあげる

青い帆に イニシャルつけて

この広い世界中の なにもかも ひとつ残らず

あなたにあげる

だからわたしに

手紙を書いて

手紙を書いて」

芸術、出会いと感動694ー3


、シンプルでローコストに生きる

 

生きていくためには、お金がいる。しかし感動する対象としての真善美との出会いがなければ、犬や猫などの動物とも変わらない生き方となっていく。だから、わたしは、あまりお金が必要でないローコストな生き方を選んできた。

 

先日のNHKのニュースの焦点と言う番組だったかもしれないが、シンプルでローコストな生き方をする人を特集していた。その番組に登場した人は、部屋の中に何もない人であったシーンが印象的であった。

 

シンプルでローコストな生き方をする人は、人や芸術に焦点を当てて、生きていくことができるようになる。反対に人との出会いや芸術は、ビタミンのように欠かすことはできない。

 

2、出会いと芸術の感動

 

人との出会いや芸術の感動もないままに、歳老いていった人を見ると、貧困という言葉が浮かんでくる。感動の体験のない人は、カメラを持っても、その人は、感動の対象がわからないままに歳老いていった人である。

 

感動の体験のない人は、焦点が定まらないままにカメラのシャッターを押し続ける人のようである。そう習いためには、いくつの歳であっても、芸術に触れているようにしていく毎日の生き方が望ましい。

 

その事例として真善美に触れることについて、澤登佳人先生の家を訪れた時に、見せていただいた磁器を思い出す。その陶磁器は、日本の陶磁器のルーツとも言えるべき韓国の陶磁器であった。

出会いと芸術の感動を示したのは、白蓮であった。白蓮を私が知ったのは、テレビ番組「花子とアン」の白蓮であった。

芸術、感動と文化、694ー2


1,ある年齢をすぎて

 

「新たなる感動と文化を人々と共に創り上げる。」

ヤマハのフィロソフィーこのヤマハのフィロソフィーは、わたしの生きる方向性と一致する好きな言葉である。勿論ある人は、一生お金のために生きる人もいる、ことも知っている。

 

ある人は、ある年齢まではお金のために生きていく。わたしも、ある年齢までは、そのような意識で行動したかもしれない。一生お金のために、生きている人も知っている。そのような人は、文化的なことにお金を一切使わない。

 

しかし、新たなる感動を日々体験体するには、音楽や絵画などの芸術がとても役に立つのである。それらは、ビタミンのように精神に生きる感動を与えてくれる。

 

2,芸術の感動

 

生きている感動を与える芸術の感動は、特に仕事でお金を稼いでいる40代の頃は、芸術から遠い生活を送るかもしれない。しかし、ある年齢を過ぎていくにしたがって、芸術は感動を与えるものとして、なくてはならないものになっていく。

 

芸術の感動と歓びは、生と死の狭間に生きるのが人間だから、生まれてくる。このような意識は、青春の頃には滅多に生まれてこない。生と死の狭間に生きる生き物,生と死と花の幻想、

花とは美に生きること、それは感動と文化の歴史を継承する者として生きる意識から生まれてくるのである。

 

感動には、ハーモニーとリズムも含まれている。

そして、ストーリーも必要かも知れない。

寺尾紗穂の歌を添付しておきます。