Archive for 8月, 2015

アイデア695-アリスコルトレーン


 

ジャズのテナーサキソフォン奏者であったジョンコルトレーンの継承者は、ジョンコルトレーン四重奏団のメンバーであったピアニストのマッコイタイナーでも、アリスコルトレーンでもなかった。

 

才能のある人や何かを達成した人の継承は難しいのである。このことは、家族や経営の継承でも同じであることを表している。たしかにジョンコルトレーは、「至上の愛」で、通常のジャズを超えた。

 

結局今もジョンコルトレーンの「至上の愛」のようなジャズを演奏する人は現れていない。それは、フルトフェングラ―のような人が現れていないのと同じだろう。

 

アリスコルトレーン自身も、ジョンコルトレーンは死ぬまで新しい音を探していた、と書いている。彼女は夫であるジョンコルトレーンのような才能を持ていないと告白している。

 

フルトフェングラ―とジョンコルトレーンは、才能のある人や天才の問題をわたし達に提起している。このような才能のある人、または才能のない人の問題はわたし達に才能の問題と天才とそうでない人の違いをもたらす。

 

だけどアリスコルトレーンは、私には夫のような才能はないし天才でもない、しかしできる限り音楽を高めていきたい、と言うように、わたし達凡人は、ある分野でのできることを高めていくことであるだろう。

 

彼女は、ジョンコルトレーンは昼も夜も音楽を演奏していた、音楽を考えていた、と言う。この仕事に対する姿勢こそが、わたし達が見習うべきことであるだろう。

 

だからわたし達に、ベートベン弦楽四重奏12番やジョンコルトレーンのジャズのような天才の音楽は、ジャンルを超えて人間の深みを、教えてくれるのである。継承は、妻や子供であってもできにくいのである。

アイデア695-4オーディオと音楽


狐狸庵生徒

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は思考と感情、直感と感覚など
ベクトルの向きが異なる様々な要素が絶妙なバランスととりつつ
展開してゆきます。良質な再生システムでじっくり聞き込むと
ベートーヴェンが創り出した小宇宙を堪能できます。

フルトヴェングラーは死去して60年以上経ちますが、
未だに復刻版CDが発売されています。当時は録音技術が
今ほど発達しておらず、復刻版CDを聞いても、モノラル録音でノイズも多く
録音周波数帯域も狭いのですが、もしベートーヴェンが指揮をすれば
こんな演奏になるのかな?、と想像したくなります。
音量を下げて再生すると、遙か時空を超えて作曲家ベートーヴェン自身が
指揮をしている曲が聞こえててくる---そんな感動的な錯覚を体験
できるときがあります。

8月25日

1,リーク2030とタイムドメインミニ

 

わたしのいつも聞いているスピーカーはリーク2030とタイムドメインミニほかです。リーク2030は、一度ウーファーを交換している。タイムドメインミニは、NHKFM放送を流している。

 

どちらのスピーカーも気に入っている。リーク2030はモニタースピーカとして、タイムドメインミニは、低音を除いて,音像を作りやすいスピーカーである。その商品としての製造は、雑であるが。

 

リーク2030は、クラッシックもジャズもうまく再現してくれる。特にボーカルと室内楽がよい。タイムドメインミニに切り替えても、その低音に注意しなければわからない。

 

オーディオと音楽は、言葉でない人生の深みと歓びを教えてくれる人生の伴侶なのである。それは、人生の伴侶になる本と同等、いやそれ以上の伴侶である。

 

 

2、ベートベンの弦楽四重奏曲12番

 

ベートベンの室内楽は、心の内面の深さを表している。チェロソナタ第3番は心を落ち着かせてくれる曲である。バイオリンソナタ、2番、春は、穏やかな世界を表している。ベートベンの室内楽は、心の調和と豊かさを伝えてくれる。

 

後期の弦楽四重奏曲12番は、人生の深みを伝え、それ以外の誰も伝えることができなかった柔らかい流麗な、かつ深みと神秘感と恍惚感の世界を表現している。

 

この音楽の世界は、自分で人生を歩き続けてきた人にしかわからない諦観の世界である。何と静謐の世界が現れてくることだろう。ポピュラーな歌ばかり流れている街の中で、弦楽四重奏曲12番は、人生の後半の心境を教えてくれる曲なのである。

アイデア、695-2パレストリ―ナ&トフルトフェングラ―


公開中の「運命」と「未完成」、は、 自分を目覚めさせてくれて、自分に問かけて、最後には肯 定的に人生を見るようにと導くような音楽である。このような音楽の前には、言葉の意味が、色あせてくる。
1943年と1948年の録音の魂を震撼させるレコードを聴いている。欧州をドイツ精神は、ふたたび支配し、中国と結び少し危険もあります。が、一方日本精神には、このような危険もなくアジアに再び広がろうとしている。

 

一方、サラブライトマンのヒーリングボイスの、「涙が流れるままに」澄んだ声は、パレストリ―ナのミサと同様に、心に安らぎをもたらしてくれる歌だ。

だから、ベートベンやシューベルトと共に、ヘンデルの世界は、心の平和に必要な音楽である。この私を泣かせてください(涙が流れるままに)を聞いた人は、きっとヘンデル音楽が好きにならずにはおれない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Xpd0sdVn26I

 

この3人の音楽家、ベートベン、シューベルトそしてヘンデルは、精神をさせ、美しいメロディを奏で、そして天上の世界にいざなってくれる3人の音楽家である。とりわけ、忘れかけそうなヘンデルの音楽「涙が流れるままに」、は、時々聞く必要がある。

 

この曲「涙が流れるままに」は、天上の世界を存在することを信じていた人でなければ、このような音楽の世界、精神の世界を描くことはできなかったことが、改めて気がつくのである。

 

日常の世界に浸っていると、「涙が流れるままに」の世界にわたし達は触れるとは難しくなっていく。だからヘンデルは、ベートベンやシューベルトと肩を並べる天才なのである。

アイデア、695-2心の安らぎと運命と未完成


 

パレストリ―ナ&トフルトフェングラ―

パレストリ―ナの「ミサブレブィス」とフルトフェングラ―のベートベンの運 命とシューベルト未完成は、以前から持っているCDとレコードである。 しかし、それらの全曲を聞くことは久しぶりであった。

パレストリ―ナのミサは、心の安らぎをもたらしてくれる。それは、コーラス の原点であるし、この曲は宗教的敬虔さと深くつながっている。このような歌 をしばらくの間、聞いていると、その歌は、天上に心をいざなってくれる。

一方、フルトフェングラ―の「運命」と「未完成」は、精神を震撼させる曲で ある。このような運命と未完成は、フルトフェングラ―しか演奏できないベー トベンの運命とシューベルト未完成である。

この運命と未完成は、絶望というものであっても、最初はどのようなものであったとし ても、その後では自分を目覚めさせてくれて、自分に問いかけて、最後には肯 定的に人生を見るようにと導くような音楽なのである。

この3つの曲は、心に平安をもたらし、天上に魂を飛翔させ、そして魂を震撼 させる音楽である。 そして、このような曲は、めったに放送されない音楽であるから、意識的に自 分の方から聞こうとしなければ聞く機会がない音楽である。めったにない輸入 CDとレコードである。