Archive for 1月, 2017

699-27忘れえぬ女性


何故か思い出す不思議な女性は、前回の30年前のエミリーというクラスネームで京都YMCAの英会話スクールにいた。彼女は京都府立医大の看護婦だったかもしれない。名前も覚えていないが、ベレー帽をかぶっていた容姿は、鮮明に覚えている。
もう一人の女性は、南敦子さんで、大阪の北浜近くのギャラリーでインテリアの個展をしていた。何故か彼女のインテリアは、興味をひかれた。
どちらの人も、その色彩感覚とデザインとして、今も印象に残っている。色彩感覚とデザインに昇華した二人の面影は、時間の経過が色あせるようにはしない。

699-26エミリー


突然、私が30歳の頃、京都YMCAの英会話スクールに通っていた頃、同じ教室にいたクラスのネームがエミリーという名前を使っていたある女性を思い出した。時間が経過してもその姿を鮮明に覚えている。彼女は、ベレー帽をかぶり、ボーイッシュな多分京都府立医大の看護婦だった。今はどうしているのだろうか?何故か鮮明に彼女の姿を覚えている。

いつもクラスの最前列に座っていた。私は、その時は、仕事を午後5時に終わり、大阪から京都YMCAにすぐに駆けつけていた。その時の教師は、ミスボーディという名前の太ったアメリカ人女性であった。

その女性の名前も知らない、エミリーという名前のみである。福永武彦、「愛することは危険な賭けであり、僕は生きていくために他者を求めていくその魂の願いのようなものが、生きるための人間の希望の一つであると考える。僕が愛という場合に、それは常に孤独と相対的なもの、人間の根源的なものである。エミリーを思い出すとき、私の根源的なものを思い出したのだろう。

699-26,2017年新年あけましておめでとうございます。


前回アイリッシュの祈りについて書きましたが、それは人は、何を残し、引き継いでいくか、のアイルランド人の歌です。何を残し、何を引き継いでいくか、を思い、小さな行動をすることである。
人はそれをしなければ、昔の東映のやくざ映画の主人公のように、仁義を果たすことができない。しかし、この新年の祈りを、しない人は、何も未来に残すものがない。
経済的な繁栄も生まれない。新年は祖先を敬う祭事である。そして、新年にそのような祖先を敬うことをは、神社に行くよりも大切なのだ。このようなこと、新年の祈りをしない人には、経済的な繁栄も生まれない。新年は、両親を敬い、祖先に思いを巡るときなのである。

699-26新年2017野口雨情


あけましておめでとうございます。2017年新春

昨日まで野口雨情について、その言葉が一番日本的であることを、英語で書いていた。その情感が、同時に海外にも通用することに、思いついた。日本の歌や詩は、野口雨情から始まる。その情感が外国にも通じるし、何も京都が日本の観光の中心でなく、この情感こそが、日本的なのである。