Archive for 4月, 2017

699-36藤の花


今の季節に希望ヶ丘公園を奥のほうに歩いていけば、そこには藤の花が咲いている。その藤の花が咲いているあたりで、昼の弁当を食べれば最高である。4月末から5月初めにかけて、その白い花が、一面に咲いている。この季節は、藤の花が咲くあたりで昼食を食べれば、これほどの景色はないだろう。以前高島のプラタナスの木の景観は、滋賀県内の景観良い場所であるが、この希望ヶ丘公園の藤の花は、春の食事をする場所としては、よき場所であるだろう。

699-36知的生活


私が膳所高校に入学した時、もう女性の担任の先生の名前を忘れたが、今も覚えているのは、その女性の先生の言葉である。内容はその先の大学の準備のことだった。大学を目指さない人でも、もちろん生きていけるが、何かが、そのような人にはないことである。それは、知的な生活が領域がないこと、すなわち、知的好奇心がないことである。
私は、あるタクシー運転手に出会ってそれが、改めて理解できた。彼らは、週刊誌的な雑学は知っている。無いのは、知的好奇心なのである。
知的好奇心がなくても、人は生きていける。しかし彼らは、学ぼうとする意欲がないのである。
私がその高校に入学してほっとしたことは、その運転手のような人が、高校にいなかったことである。彼らとは、知的会話ができないと言うことである。知的会話ができない人と、一緒にいても楽しくない。彼らには、知的会話や音楽の話もできないのである。人はお金だけではない。知的好奇心がない人や、または学ぼうとしない人とは、会話ができない、その出発は高校時代からだろう。人は高校時代から、世界が違ってくる。
先日膳所高校の同窓会報が送られてきた。人は何歳になっても、学ぶことである。それを高校の時の先生は、教えてくれたことが、いま改めて理解できる。学ぶことや、知的生活を、高校時代に学んだ。改めて膳所高校同窓会報が、毎年送られてくることに感謝しています。そして大学合格者は、50年経過しても変わらない。人も学校も、レガシーによって影響を与え続けていく。

699-34桜が満開


家の近くの桜が満開で今日4月7日(金)咲いている。藤原定家の「梅の花こずえをなべて吹く空さへ匂ふ春のあけぼの」と「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとやまの秋の夕暮れ」わたしは、この2つの歌が表現するような絵画的な写真を撮りたいのである。どちらも絵画的な、そして審美的な写真を。あらかじめこのような心象イメージがなければ、いくらカメラのシャッターを押しても、美しい写真は写せない。

空さへ匂ふ、この言葉を使えるかどうか、ある。この言葉を、使えるか、どうかである。

699-33高校生の時のほっとした気分


もう膳所高校に通学は、自転車でしていた。それは、50年以上前のことである。私が学んだ時は、多分新しい今の校舎ができたのが、その数年前だった。一番のその時の記憶は、中学のクラスと違い、クラスに喧しく騒ぎ立てる人がいないことで、ほっとしたことだった。今もその校舎の近くを車で通るとき、意識はその時代にタイムスリップしていく。そう、ほっとした気分と、休みの時は、友人の松下君の家に行き、彼が株式の日足をつけていて、そのチャートを見て彼とその企業の話しを曜日に毎日していた。50年は、夢幻である。