699-47気候変動


50年以上前に書いた小学3年の時の「季節だより」が、今も私の机の中にある。その頃の気温は26度であった。現在2017年の夏は、毎日30度以上の気温である。道路は舗装され、国道は車が溢れている。その26度位の気温を体験するには、森の奥深くの滋賀県朽木村あたりに行くしかないだろう。一体進歩とは何だろうか?エアコンなしに生活できない環境が、進歩なのだろうか?車と舗装道路があることが、60年前の生活よりも、進歩と言えるのだろうか?60年前の今頃は、26度の気温だった。現在は、毎日30位以上の気温である。滋賀県朽木村の緑に囲まれた生活など、都市に生活している人は、忘れている。人は、森と新鮮な空気の生活など、忘れている。その原因が、舗装道路と車である。カエルの鳴き声とともに生きる生活を忘れる時、誰も、人の暴走も止められない。新鮮な空気と森ともに生きていれば、人間の精神の暴走も防ぐことができる。その生活は、トルストイが求めた生活でも、ある。そして死者とともに生きる生活である。このようなことに気が付くことなく、多くの人は、都市に住もうとする。多くの人は、より高級車にあこがれるが、滋賀県朽木村のような、新鮮な空気と8月の終わりには、26度くらいの気候の場所に住むことが、人の精神の暴走を防ぐには、必要なのだ。ニュースによれば、京都は、37度であった。そのような温度の都市は、やがて発狂する。どこもヒートアイランドになっていく。お盆に戻ってきた死者にしか、灼熱地獄になりつつある都市の末路が見えないのだろう。舗装道路と車ばかりの街に住んで、エアコンをつけっぱなしの生活をしている者には、ヒートアイランドとなった都市が見えなくなっていく。このようなことは、テレビをいくら見ても、わからない。人間日本必要なのは、新鮮な空気と水と森林なのである。人は東京に集中していくが、反対に、新鮮な空気と水と森林が、人間には、必要なのだ。このようなことに気が付いている市長など、存在するならば、お目にかかりたいものだ。

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